鰻の骨よ

三十路にならんとしているのに母親に弁当作ってもらっている私のことをダメ人間であると見る向きは多いかと思うが、まあ放っておいてくれたまえ。どうも私は奉仕されやすい星の元に生まれたようでね。母親に限らず多くの人が私に奉仕してくれるのだよ。そんな今日この頃ですが、今日の弁当に西京漬けが入ってた。銀むつの。口に含んだ途端に蘇る鰻の骨の悪夢。お母さん、ひどいじゃない。心の傷が癒えていない私の弁当に魚を入れるなんて。じゃあ自分で弁当作ればいいじゃん、と言われそうですが私も断ってるんですよ、もういい年だから弁当なんて作ってくれなくてもいいからって。でも本人が作りたいというのだから仕方がありません。好きなようにさせてやるのもまた親孝行というものでしょう。あ〜、ていうかまだ鰻の骨とれてないんだよ。痛いなぁ。どうしてくれよう。よもや鰻の骨を3日も引きずるとは思わなんだ。明日病院行ってきます。オエってなりつつ涙にじませながら堪えます。
奉仕される星の元といえば、先だっても奉仕されましたよ。その奉仕の内容がこの鰻なんだけどさ。知人が誕生日だというのでじゃあ鰻でもおごってやるかと野田岩に連れて行ったのですが、何でかわかりませんが私がおごられました。なんでおごってんのよ、意味わかんないと言いつつもおごられてしまったので、だからばちがあたって喉に鰻の骨が刺さったのでしょうか。しかしどうも私は、自分で何かしようとしても周りに老若男女問わず「やってあげようか」と言ってこられるのですよ、どうしてだろう。ダメな子だと思われているのだろうか。或いは生活無能力者か。
週末に知人と話していた折に、人は誰しも持って生まれた性格があるのではないかという話に及んで、そのとき私が話した自分の実体験はこんな風。2歳だか3歳だかそれくらいの頃、公園で遊んでいて夕方になっても帰ろうとしない私に手を焼いた母親が「もう知らないよ、先に帰っちゃうよ」といった時。5つ離れた私の兄の場合は同じような状況で「お母さん、ごめんなさい〜」と駆け寄ってきたらしいのだけれど、私は母とは逆方向に駆け出していったらしい。知人に向かって「頭いいよね〜、どうやったら思い通りになるか2歳か3歳でもう分かってたんだよ」と自画自賛したら「頭いいけど手のかかる子だね」と言い返されました。ひょっとして奉仕されてるんじゃなくて周囲の手を焼いてるだけなのだろうか。