肩書きに決着をつける

元来感情の起伏が激しく、よく言えば人よりも喜びや笑いの反応ならびに表現が大きく幸せな人生だがその反面、怒り落ち込み悲しみの程度も甚だしく幼少期から自身に課せられたこの生きることを困難にさせる性質に向き合ってきた私ですが、新たな発見が。
現在メレディスの「エゴイスト」を読んでいる最中で、この本自体は2年位前に岩波文庫の秋の一括重刷のときに購入したのだけれど大概の本と同じく積読として埋もれていたものを発掘してきたというわけ。岩波文庫はちょっと気を抜くとすぐに品切れ/重刷未定になるので懐の寒さ具合に関わらず購入しておくように気を付けているのだけれど、2年前赤貧にあえぎつつも(そこまで言うほど本当は貧乏じゃないけど)購入した私の判断は正しかった。むちゃくちゃ面白いじゃん、これ。サー・ウィロビーのエゴイストっぷりというよりはその描かれっぷりに感嘆。自分の所有するものに対する責任は負いたくないとかさぁ、エゴイストとはそういうものだよね。
しかし読みすすめるにつれてなんとなくデジャヴュ。こういう人間には見覚えがある…、それは私か?私はエゴイストだったのか?そうか私はエゴイストか!物心ついてからずっと自己の内面と向き合ってきて、様々な局面で私がとった態度ならびに反応の理由を人知れず色んな言葉で表現して根源にある自分の欲求を明らかにしてきたけれどさ、それである程度分かった気になってたけどさ、要するに端的に自分の性質を表すとエゴイストってことじゃん。自分がエゴイストであることに気付くのに20年くらいかかったと言う衝撃。まさにエポック・メイキング。
著しく特徴的なのはメレディス「エゴイスト」に書かれていた「すべてに非ずんば無」。全部思いのままにならないならそんなものいらないって話だ。私じゃん。私の事じゃん。どうせ極端な性格ですよ。しかしだね、この発見(=自分がエゴイストであるという発見)を驚きつつも私をよく知る人に話したら「とくに新しい情報ではない」と。とっくにバレてたよ!
勿論私にはある程度の客観性もあるので全面的にエゴイストであるというよりは部分的に、という話ではあるのだけれど、メレディス描くところのエゴイスト像に当てはまる部分が大いにあるという点はまったく否定ができない。あー、吃驚だ。本当に吃驚だ。私はエゴイストだったよ。全然気付かなかった。ということでちょっと前に気になっていた「肩書き」*1ですが、暫くはoberonさんに提案していただいた「活動家」を使っていたりもしましたが、今後は「エゴイスト」1本でいこうと思います。私は今日のこの日記を新鮮な気持ちで書いているわけですが、読まれている方の中には「なにを今更」と思われる方も多いのだろうなぁ、と思うとこの驚き、新鮮さが大分ばかばかしくも感じられますが、気付くのに時間がかかったのは事実なので致し方あるまい。ちなみにエゴイストを連発していますが、一般でこの言葉をどのように捕らえられているかは分かりませんが、ここではメレディス描くところのエゴイストということでよろしく。