8月14日の日記

絶不調。明日は病院に行かねばなるまい。ちくしょう、せっかくの夏休みだというのにこの体たらく。
ところで土曜日の東京レズビアンゲイパレードだけれど、元々人見知りで引っ込み思案でネガティブ思考の私は興味があるからこそ代々木公園まで赴いたものの、向かう道中は「作法を間違ってつまみ出されたらどうしよう」「ノンケが混じりこんでるぞ!と白眼視されたらどうしよう」などと無意味な心配をしていたのだが当然ながら全くの杞憂であった。こんな愚にもつかぬ心配をしたのはこのイベントは何か決起集会的なものなのだろうか、という事が念頭にあったからなのだと思うがそれがそもそも間違っていて、会場に着いたら皆さんそんな肩肘はってるんじゃなくて普通にとても楽しそうにしていた。この楽しそうな雰囲気がとてもよいなぁと思った。
こんなに楽しそうに見えるのは自分がゲイであるとかレズビアンであるということを隠す必要がなく、彼らにとってとても自然な状態でいられるからなのだろうかなどと思ったのだけれど、実際に普段の生活で彼らが自分の性質を隠さなければならない状況にいるのかということをつぶさに知っているわけではないので何とも言えない。私自身の過去の経験から言うと、知人が実はゲイであると分かったときも彼に対する私の態度は何も変わらなかったし、その理由は恐らく「ゲイである」という事実が「彼らしさ」を損なうものにはなりえないし、私が好ましいと思っている人の人間性を形成する一部になっているからだと思う。そう考えると今の若い人たちで同性愛者を拒絶する人はそんなに多くないんじゃないだろうかと思えてくるが、私の考えが甘いのかもしれない。
彼らがもっと楽しそうにしているところを見たくてパレードがとても見たかったのだけれど、本当はこういうイベントをやる必要がない世の中になった方がいいと思う。ノンケのパレードなんて聞いたことないもんな。恋愛の話をするときに恋愛対象が当然異性であるという前提が崩れて、男の子が「最近彼氏が出来てさ〜」などと話した時に「へぇ〜、良かったじゃん、どんな人?」と普通に会話できるようになったらいいと思う。人がその人らしく生きても誰も拒絶せずに受け入れられる世の中になったらいいのにね。受け入れるといっても勿論、異性愛者が同性に愛された場合にそれを受け入れなきゃいけないと言っているわけじゃないよ。同性だろうが異性だろうが自分がその人を好きじゃなければ仕様がないんだし。
ところで会場には結構かわいい感じの男の子がそれなりにいた。見た目も華奢でかわいいんだけど仕草がかわいいのね。いいわね。かわいくて。ええもうどうせ私はかわいくありませんよ。いやいや自分の話はどうでもよいのだ。かわいい子がいるとつい目で追っちゃうものだなぁ。やはり2丁目のイベントにも行くべきであったか。30歳の目標は「引っ込み思案をなおす」にしたいと思います。