恐ろしいニュース続々

今日は何だか怖いニュースが沢山です。
<傷害事件>百貨店販売員の目を突いた無職の女逮捕 警視庁
これを読んだときに人間なんて簡単に不幸になれるんだ、どんなに日ごろ心掛け正しく生きていても関係ないんだ、とぞっとしました。眼球破裂ですよ?私がこういう目に会わずに済んでいるのは単に運がいいだけで、私だっていつ何時目をつぶされるか分かんないんだわ。人間の一生は思っていたよりずっと運に左右されるものなのかも。
<子猫殺し>直木賞作家・坂東さんがエッセーで告白
坂東眞砂子が自分の飼い猫が産んだ子猫をガケから落として殺しているという話。本人が日経新聞8/18夕刊に書いてたらしいのだけれど私んちは日経は朝刊しか購読していないので未読。ニュースで報じられている内容しか読まずに批判することはできないのでそれは差し控えるけれど、私も猫と暮らしている身なので「猫殺し」という言葉は論理を超えて抵抗感を覚える。あんなに可愛い生き物を。社会的責任として子猫殺しを選択しているそうなのだけれど、ガケから落としただけじゃ即死するかどうか分かんないじゃん。責任というなら確実に即死できる方法をもっと考えたほうがよいのでは。直接手にかけずにガケから落とすというのは、死ぬ瞬間を見たくないからなのでは?とつい勘ぐってしまう。って、結局結構感想書いてんじゃん。本人の文章も読んでないのにさ。
ところで避妊手術せずに社会的責任をとるのなら妊娠しないようにするとかじゃダメなのかな。ちなみに私んちではたびさんを外に出していないので妊娠しません。手術もしてません。それは妊娠させないために閉じ込めているんじゃなくて、たびさんの性格を鑑みるに外で接近してくる車を見たら吃驚仰天して、逃げるどころかむしろ間違って車に自ら突進していくであろうことが容易に想像できるからなのだけれど。事実私が家の中でたびさん追いかけたら逃げようとして間違って私の足に頭突きしてきたこと多数。もとい、坂東眞砂子の話。家に閉じ込めるのも猫の自然に反するということでダメなのかな?だったら猫なんか飼うのが間違いなような気もするんだけれど。本当に本当に猫の生に対して責任を取るのなら、生まれた子猫も一緒に育ててやるのが一番なのではないでしょうか。
ニートに「発達障害」の疑い、支援に心理専門職も
こういう事を報じると、短絡的に「ニート発達障害」と覚えこむ人が多そうで怖い。ニートの一部と書かれていてもその「一部」という文字は普通にスルーして。なんとなくニートって、不当に評価されているような気がするのは私だけか?私自身はそんなにニートに通じているわけではないので擁護することも批判することもできないんだけれど、にしてもニートという語を目にする時は侮蔑的・差別的な匂いがする。ちなみにこの記事にはニートの年齢の定義として「15〜34歳」と書かれていたのだけれど、ということはあと4年たったら私がどんな生活をしていようとニートに分類されることはなくなるわけだね?
ところで小倉優子よゐこの濱口が熱愛だって?このニュースもある意味怖い。二人きりになってどんな会話してんだろう。