引きずってます

一日中坂東眞砂子の子猫殺しのことが頭から離れなかった。生まれたての子猫を殺すなんて到底認める事などできない、と思う私は非常に平和で生ぬるい環境で生きているという事なのだろうか、などと自問。だけどやっぱり違うよねぇ。食べるために殺してるなら兎も角、だよ。食べる気ないのに殺すのってどうなの?この下のエントリに「あんな可愛い生き物を」と書いたけど、可愛くない生き物にだってできないよ。私はシマウマが大層嫌いであるけれど、シマウマの赤ちゃんだって殺さないね。その生き物に自分が殺されそうになってるとか、そいつを殺して食べたりしないと餓死するとか、その人にとって動物を殺すことが絶対的に必要となっている状況ならわかるんだけど、自分の生死とは全く関わりもしない生まれたばかりの生き物を、なんで殺すことができるのか全く理解できないし、ひょっとしたらこういう理由なのではないか、などと類推することもできないから本当に怖い。
死生観は国によって大幅に異なるようだという事を、インドでは死んだ人の身体をガンジス川に流したりするという話を耳にしたときに実感したので、ひょっとすると、本当にひょっとすると、彼女の住むタヒチでは無用な殺生が日常的に行われているのかもしれないけれど、そしてタヒチに長いこと住んでいる彼女はその環境になれてしまって違和感を全く覚えなくなってしまったという可能性も、本当にひょっとしたらあるのかもしれないけれど、少なくとも今のこの日本では子猫殺しはどう考えてもノーマルじゃないのに、なんで自らその事実を語ってしまったのだろうか。その話を聞いたら多くの日本人が絶句しショックを受け憤慨するだろうということすらも想像できなくなってしまったのだろうか。それから、日経新聞で件の欄を担当している人は掲載する事に何の躊躇いも感じなかったのだろうか。全然分からん。暫く引きずりそうな予感。
(追記)
シマウマの赤ちゃんはひょっとしたら可愛いんじゃないかという予感がして怖い。あんな柄の生き物をこの私が可愛いと感じることなど、あってたまるか!