客観性を失うとき

仕事場に向かう道中に先だって二丁目に行った事を思い出し、私は何故二丁目に行ってみたいと思ったのか、と自身の行動を振り返って考えていたら自分が何に対して興味を持って、そしてなぜそれに対して興味を持つに至ったのかとか、そういった普段頭の中に漠然とあるものが次第に明確に言語化されていくのが大変面白く、そしてその面白さのために人知れず脳内で盛り上がってしまい遂には二丁目とは全く無縁の事まで考え始め「私の怒りには瞬発力がない」とかそんなレベルの事にまで行きつき、最後は「これら全ての事は根っこの部分では二丁目に興味をもったこととつながっているんだ!」と感動のフィナーレ。よし、これで今日日記に書くネタができたぞ、とにやつきながら書き始めたらな〜んか薄っぺらい。感動巨編になる筈だったのだが。
今「日記に書くネタ」と書いて思い出したのだが、私、三十路突入したらこの日記書くの辞める予定だったんだ。若干飽きてきたから。とりあえず30歳になるまで頑張ろうと思っていたのだが、う〜ん、辞め時を逸した。そのうちまた気が付いたら辞めるかもね。
ところで「脳内であれほどまでに盛り上がっていた内容であるにも関わらず、アウトプットした途端に安っぽくなる」という事について考えていたのだけれど、この安っぽさはあれだ、真夜中に自己陶酔しつつ書いた文章を昼間見返したら思わず自死を選びたくなるほどの恥ずかしさ、あれに似ている。脳内という明らかに誰の目にも触れず他者を意識せずにいられるという状況と、真夜中で家人も猫も寝静まり外も静かで「今この瞬間に起きているのは私しかいない」という思い込みであり勘違いには、「己を客観視する必要がない」という点が共通している。だから自己陶酔による恥ずかしさに無自覚でいられるのであろう。今朝考えていたこともエッセンスはそう悪くないのだが、あの気分の盛り上がりがなにより恥ずかしい。
そういや今朝、私が職場に着いたのは始業時間より10〜15分前だったのだが、その時間に既に自分の席についてPCも立ち上がっている人がいて、仕事してるのかと思ったらフリーセルやってた。わざわざ朝早くから職場に赴いてやっていたのがフリーセル。面白い。私の方はというと今日も一日中やることがなくって人に見えないように遊んでいたのだが、仕事時間中に30分程度人の手伝いしたら偉い人にわざわざ「さっきはありがとう」などと褒められた。褒めてる場合じゃない。人を飼い殺しにしていてよいのか?今日面白かったのはOpera9。ブラウザね。バージョンアップしたらとても無駄な機能がついていました。デスクトップの片隅で熱帯魚を飼えるの。スタート時には100ドル持っていて、1分後とに1ドル追加。それで更に熱帯魚を買い増ししたり水槽に入れる水草入れたりできんの。あれ面白い。私の今までの経験ではブラウザはOperaが一番だなぁ。