マルタの歴史に魅了

luce2006-12-18

同居のドイツ人、ほんと面白い。4月1日生まれの彼女は、この日はドイツでは多くのジョークを言う日なので私はジョークを言うのが本当に好きだと言っていたのだけれどその通りで、今日はドイツでよくクリスマスに食べるお菓子のシュトーレンについて、シュトーレンは好きかと問うと簡潔に「イエス」と答えたのだけれど、わざわざわき腹の豊満な肉をつまんでそいつを引き伸ばしながら「イエ〜ス」と答えなおしたのであった。こういうジョークって万国共通なんすね。
本日は学校で、授業の代わりに先生の引率でヴァレッタ見学。解説つきで街を巡ると非常に興味深いのであった。ヴァレッタを囲む城壁を指差して「これは1565年にオスマントルコに勝利したあとに、更なる攻撃に備えて聖ヨハネ騎士団が作ったものだ」とか言われるといやでも興奮するっていうもの。ちょっと知識があることをひけらかそうと「騎士団は最初ロードス島にいたんですよね?」と尋ねると、「ロードスがトルコに奪われたのでマルタに移ってきたのだけれど、騎士団は喜んでここに来たわけではなかった。というのもそのころマルタは何もない島で、騎士団はすべてを一から造らなくてはならなかったからだ」と。そういわれてから街を見直すと非常に感慨深い。
アッパーバラッカガーデンという非常に見晴らしのよい場所に移動し、そこからヴァレッタの向かいにあるスリー・シティーズと呼ばれる三つの島を見ると、それらすべてに街を守るように城壁が作られていて、そこで1565年の勝利を勝ち取ったらしい。今私の目前にあるまさにそこでかつてキリスト教世界とイスラム教世界の戦いがあったと思うと、いやもう言葉が出ないのです。大興奮。はしゃぎすぎ。その後紆余曲折を経て1800年代にはイギリスの支配が始まったのだけれど、私の頭には先だって日本で見たケン・ローチの「麦の穂をゆらす風」のことが思い浮かび、つい先生に質問。「マルタの人はイギリス人をどう思っているのですか?」。なんとなく予想ができていたのだけれど、やはりマルタの人々は非常にイギリスのことを快く思っており、昨年女王がマルタに来たときなんかは大歓迎したらしい。理由はというと、イギリス支配以降、人々の暮らしぶりが非常に良くなったからだという。「でもイギリスのアイルランドに対する仕打ちはひどいんですけど?」。答えは非常に簡単で「それは宗教が原因ね」。
イギリスはプロテスタントアイルランドカトリック。マルタだってカトリックじゃん、と思ったその私の胸のうちを見透かすように、アイルランドカトリックでも非常にファンダメンタルで、我々のそれとは全然違うのである、と。我々地中海人は何に対しても割りと柔軟で、マルタ人はイギリス人が与えるものをすべて受け入れたけど、アイルランド人は違ったのだ、と。無論私はこの言葉を鵜呑みにしたわけではないけれど、確かにカトリックといっても人々の宗教に対する態度はその気候や風土に大いに影響されるのではないかとも思うのではあった。
そこから発展して宗教の面白い話に。なんでだったか忘れたが、多くの日本人がキリスト教式に結婚式をする、という話になったときに、マルタでの教会での結婚式は単なるセレモニーとは違うといわれ、どう違うのか聞くと、式の前に数週間なんか講義を受けなきゃならんらしく、さらには試験まであってそれに落ちると結婚できないのだそうだ。すごいね。全然知りませんでした。
書きたいことはまだあるのだが、なんとなくもう学校が今日は閉鎖になるっぽいのでこれにて終了。