Midnight Mass

24日から25日にかけて行われる真夜中のミサに参加。ホストファミリーに確認したところキリスト教徒でなくても参加して構わないということで。教会に着くまでは興味津々、大興奮だったのだけど中に入ってみたらめちゃくちゃ緊張。作法を全く知らんがな、わし。おろおろしてる間に同行のマルタ人家族は祭壇前を横切る際に、非常にスマートにこなれた動作で一瞬だけ跪いてゆく。どうすんの?私。キリシタンでないのに跪くわけ? 気持ちが伴わない動作は無意味かつ無様でないの? そんな葛藤を感じつつも衆人環視のなか、普通に横切る度胸などなく結局跪いてしまった。あぁ…。
ミサは前触れもなくシスターたちの歌声によって開始されたのだが…、簡単に言うと度肝をぬかれるレベルの音痴さで周囲からやや笑いがもれるほどであった。関係ないけどシスターたちみんなおばあちゃんなの。教会の未来が些か心配になってしまった。最近の若い女子はシスターにならないのだろうか。ならなそうだよな。
司祭だかなんだか階級はよくわからないが、神父のお説教はマルタ語なので皆目分からず。マルタ語はアラビア語系の言語なので見当すらつかない。まだラテン語の方が分かる気がした。ということでつまり式の進行具合が全く分からないのである。人々が席を立ったら私も立ち、跪いたら私も跪く。どう振る舞うべきか分からないし、たとえ分かったとしてもそれを真似るべきかといったら甚だ疑問である。そもそも私のような者が紛れ込むべき場所ではなかったのだ。ここは信仰の場。イベントクリスマスなんかではなく、本気のクリスマスなのである。hereticという単語が何度も脳裏を過ぎり、その都度内心で「すみませんすみません」と平身低頭。居心地の悪さからキリスト教への改宗を検討し始め、最終的にはあまりの緊張から逆上し「日本のクリスマスなんて笑止千万だな」などと思い始める始末。そんな私の心の中の嵐に気付くものなどおらず、ミサはつつがなく進行。クライマックス(かどうかは知らんが)のキリストの血と肉、ワインと聖別されたパンを司祭から信者の口へと入れる儀式へ。私はこの聖体の味が昔からとても気になっていたのである。どんな味がするのかしら、わくわく、と。しかしやっぱり同じ問題が持ち上がり、というのはキリスト者でない私が信者のフリしてそんなもん貰っちゃって良いのかってことなのだが、…好奇心が勝ちました。しかし一応念のため同行の9歳児に「私はどうしたらいいの?」と尋ねて「みんなと同じようにすればいいのよ」という答えを期待したのだけど、かえってきたのは「YOUはここで待ってなよ」というものでした。…まあ、当然すよね。
しかし何とも貴重な体験でした。日本におけるクリスマスとは全く違うとは、分かっていた筈でも実際に直面してみると全然違う。本当のキリスト教徒、つまり教会関係者とかそういう特別な立場ではなく、一市民であるキリスト教徒というのを、今日初めて見た気がする。
家に帰ってみると、サンタクロースの存在をいまだ信じている9歳児のためにお菓子がつまった靴下が置かれており、クリスマスツリーの下には彼女の両親から彼女へのプレゼントがあり、本来なら25日の朝に箱を開けるらしいのだけど、待ち切れない彼女はその場で開けていた。ああ、クリスマスっていいなぁ、と人ごとのように観察してたら私にもプレゼントが。ピアスだったよ。もう感激。このときほど自分のボキャ貧を呪ったことはないね。無論私もプレゼントを用意してあったのであげたのだけど、それにしても私はいいホストファミリーに出会えて本当にラッキーだったと思う。いやあ、クリスマスっていいもんですね。本気のクリスマス最高。本気のクリスマス大歓迎。いい経験しました。