「オー・マイ・ガッ!」を夢に見る

昨日学校でちょびっとだけ同居の中国人に依存されて困っているという話をしたら学校スタッフが総勢で動き出し、彼女に他に友達を作るように仕向けたりしているので驚いています。私が思っている以上に「依存」というものをよく思わないのがマルタ人のノーマルのようで。露骨に「彼女のことを避けたほうがいい」「親切にするのは彼女のためにならない」「自立させないと」と。つまり私のためだけでなく、というかどちらかというと彼女の今後のために動いている感じ。まあ、確かにヨーロッパで人に依存するタイプの人って見たことないもんね。
朝食の席でステファンとホストマザーと年金の話をして、朝から生きてゆくことの困難さを再認識していると、途中でホストマザーがバニラ(同居の中国人)に「話を理解できた?」と気遣い。すると「アイ・ノウ・エブリシング」と。ホストマザーは「That's good」とか言って、それから話題を変えて今日の午後は何をするのか、と尋ねると「トゥー・オクロック」と。言い方を変えて再度尋ねると「アイ・ノウ」で会話終了。最初は私、「新感覚☆キーワード英会話」の藤岡くん風に「彼女は"I know"の意味を、"know"してないんだ!」とか思っており、多分彼女は「アイ・ノウ」を相槌かなんかの慣用句と捕らえているのだろうと理解していたのですけれど、最近になってどうも実は会話についていけてるフリをしたがっているのだ、ということに気づき始めましてやや衝撃。「アイ・ノウ」と何度言ったとしても頓珍漢なわけで「分かったフリ」すら成立していないし、そんなことしてもあんまり自分のためにならないのだが。
そんな彼女の口癖は「アイ・ノウ」のほかに「オー・マイ・ガッ!」があり、これは非常によく口にするのです。私にはこれ、非常にためらいを感じまして。たとえ慣用句とはいえ心の中に神を持たないものがこのせりふを口にしたところで、そこに意味はあるのだろうか、と。彼女が来る前から他のヨーロッパ人がこのせりふを口にすると常に「私は言えないせりふだな」と思っていたのですが、同じアジア人である彼女が「オー・マイ・ガッ!」「オー・マイ・ガッ!」と日に何度となく口にするので、やはりアジア人でも普通はためらわずに言うのだろうか、と気になってしまい、夢に見る始末。同じ学校の日本人の女子が夢の中で何回も「オー・マイ・ガッ!」「オー・マイ・ガッ!」と言っていて私はただオロオロするばかり。やはり自意識が強すぎるのだろうか、私は。

(追記)
先ほど日本人の女子の人(ヘンな日本語だ)に「あなたが何度もオー・マイ・ガッ!と言っている夢を見た」と話してみたら「今まで言ったことないし言えない」と。割と口数が少なく控えめで、しかし自分のことは全部ちゃんとやれる(というのは大人なので当然なのだけど)、芯がしっかりしたタイプの彼女なので私自身、彼女がそのせりふをためらいなく発しているとは到底思わなかったのだけれど、やはり、ね。誰か日本人で「オー・マイ・ガッ!」を海外で気兼ねなく使っている人がいたら、そのときの心境を教えていただけると幸いです。とても気になっています。