ドイツ人にキレる

タイトルどおりです。同居の中国人がすぐに「アイ・ノウ」を連発するので、分かってもいないのに「アイ・ノウ」というのはやめたらどうか、と言ってみたのだが彼女の返答は要約すると「ちゃんと分かろうとして質問すると相手がうんざりしてしまうからできない。だから自分にできることはただ勉強することだけなのだ」と。ちょっと気の毒に思いましたよ、私。最近では同居のドイツ人が彼女の「アイ・ノウ」をからかうようになりまして。夜、ドライブに行くからこないか、と誘われてドイツ人ステファンとスイス人トマス、私、中国人バニラの4人ででかけたのですが、このときまたしてもバニラには理解できない会話になり、彼女なりに理解しようと質問しかけるのだけれどボキャブラリーが何しろ貧困なために単語すらでてこない。困惑気味に眉根をひそめている彼女に対してステファンが「アイ・ノウ、アイ・ノウ」とモノマネ。ますます困ってつい中国語で何かを話してしまったらまたもステファンが「チン・チョン・チャン」と、中国語のつもりらしい。非常に不愉快。
その後結局彼女は一人で帰ってしまい、残されたのは3人だけだったのだが、中座して雪隠に行き、帰ってきたらなんでかしらんけど私の顔見ながら二人してにやついてんの。なんでこっちみてんのよ、みたいな事を言ってみたら、見つめちゃだめなの?とかますますふざけてきて不愉快。帰り際にはドイツ語で会話をし始めて、英語じゃないと分からん、と言ったら、分かんないほうがいいよ、だって。このときすでにビールを1.5リットルくらい飲んでいて軽く酔っていたせいもあり、家に着いてから同居のドイツ人を示しながらホストマザーに「この人たちアジア人のことなめてんのよ。ふざけるな」というような事を言って私はさっさと自室に戻ったのだが、ホストマザーが心配して私の部屋にやってきたので簡単に事情を説明。
私の顔を見ながらニヤついていた件については「絶対なにかバカな話をしてたのよ、男ってバカだから」と言われて、それはそうかな、と思ったのですが、「ヨーロッパの人間がアジアの人間を見下す、などということは絶対にない」と断言されて、それはどうなんですかね。酔いがさめてみると件のドイツ人スイス人は単に「無邪気」に冗談を言っていただけで決して「悪気はない」ということは無論分かるのだけれど、あの中国語のモノマネは、同じアジアの人間である私にとっては非常に気分が悪い。
ホストマザーいわく「西ドイツの人間の中には東ドイツ出身の人とは決して口をきかない人もいるくらいだから、何か気分が悪いことがあってもそれは誰にでも起こることで、ユーロピアンだから、エイジアンだから、ということではない」と。しかしどうなんでしょ。ヨーロッパ人同士の間でもトラブルはあるんだからヨーロッパの人間の態度が悪かったとしても別に差別じゃない、それは単に一般的なトラブルだ、という論旨は成り立つのかね? 私は成り立つとは思わないけど。差別があるかないか、という点に限っていえば、ある、としか答えようがないんじゃない? たとえば、あんまり面白くないんで忘れていたけれど、プラハでバスチケットを買おうと思って店に入ったら、私が何回話しかけても店の人間は完全に無視したぞ。知り合いで相当流暢にドイツ語を話す人がドイツを旅行中、買い物をしようとしたらやはり無視。マルタで知り合った韓国人の男の子たちが先月かもうちょっと前かにイタリアを旅行し、洋服を買おうとしたら彼らも無視され「イタリアには失望した」ってさ。まあ無論今回のことは別に彼らの心の底に明確な差別感情があったからとは思わないけど。
「ヨーロッパで差別された」→「ヨーロッパの人間はすべて最低だ」という話がしたいわけではなく、一度や二度無視された経験があったとしてもそれでもなお私はヨーロッパに滞在するのが好きなわけだけれど、結局何が言いたいかというと、ホストマザーの言う「差別は存在しない」に対して「そうは思わないけど」と思った、という話だ。ちなみに日本人がまったく差別をしない人間だ、とは思っていませんよ、私は。ただ今はヨーロッパにおいてアジアの人間を軽く差別するような事象が存在しているか、ということに限って書いているだけです。
ヨーロッパの人間にとって「チン・チョン・チャン」と中国語のまねをすることは失礼でも何でもなく単純に楽しいことなのか?チュニジアであったセルビア人も、彼は私が何度「日本人だ」と言っても覚えられず何回も「チン・チョン・チャン」と、まったくもって同じ文言を「中国語のマネ」とか言っていたけれど、「チン・チョン・チャン」はヨーロッパの人間にとっての中国語のマネのスタンダードなのか?…なんか疑問の方向性がずれてきたな。
とにかく私にとって中国人の目の前で、その人が英語をしゃべれないのをからかうように「チン・チョン・チャン」とやるのは非常に不愉快。私だけですか?そういうの。このドイツ人も先だってあったセルビア人も「かれらはignoranceなのだ」と断定してしまえれば簡単なのだけれど、ヨーロッパの人間にとってそれが非常にノーマルな態度であるならば、私のこの不快感は誰にも理解してもらえず、したがって態度の改善を促すこともできなくなるだろう。いやあね。