キレたその後

昨日の話の続き。同居の中国人の女子が話しについていけずに困り、ドイツ人が「チン・チョン・チャン」とやったときに話していた内容はというと、日本人の女子は日焼けすることを好まないが、それは中国人も同じなのか、ということであった。本日彼女の様子を確認してみると、あろうことか彼女は我々アジアの人間が有色人種で、そして昨日彼女は化粧をしていなかったから顔が汚いと言われているのだと思っていたのだ。ステファンは私が怒ったんで急にオロオロして、今朝になって何の前触れもなく中国人バニラに「すごく美人だよ」とか褒めてんの。そしたらなんかよく分からんが彼女は自分のノートPCを持ってきて自分のセルフポートレートを沢山見せてくれた。いつも部屋にこもって何をしてるのかと思ったら自分の写真を撮りまくっていたらしい。そして中でもお気に入りの数枚を示し、これが一番良く撮れていると思う、と。面倒くさいので私は黙っていたのだけれど、上記の行き違いがあったせいでステファンはやたらと「美人だね」「これは良く撮れてるよ!」とべた褒め。
今までも中国人バニラにたいする遺憾の意をここに何回か表明してきた私ではあるけれど、会話の途中で理解しあうことを投げ出す、ということはほぼなかったのであるが、今回の一件のせいで若干、より親切になってしまいました、ワタクシ。そうしたら面白いことが分かった。というか良く考えれば当然なんだけれど。前に彼女の電子辞書には問題があると書いたことがあったけれど、電子辞書以前の問題があったのだ。というのは、彼女の出身地域で話されているのは北京語でも広東語でもなく、非常に狭い範囲内でしか話されていない言葉で、しかし辞書は北京語が標準。彼女は北京語が分かるけれど母語ではないので、時々自分の感情を表す際に辞書を当たろうとしても北京語でなんと調べればよいのか分からず、結局何も伝えられないときがあるのだ。そりゃ大変だよね、勉強するの。…しかし辞書以前のレベルの間違いも多々あるのだが*1
それから彼女、だいぶいろんなことが一人でできるようになったようで。昨日の夜、出かけた際に彼女一人で先に帰るときも私を誘ったりしなかったし。どうもね、マルタに慣れるのに時間が必要だったようですよ。それに気づいた今、依存されないように避けたりしたことをやや反省。私自身が外国になれるのが異様に早いため、ほかの人の不安があんまり分かんなかったのですね。想像力の欠如。ごめんなさい。そうは言っても依存されるのは依然としてイヤなのだけどさ。つまり「ごめんなさい」と書きながらもあんまり悪いとは思っていないと言うことだ。ただ、もう少し配慮はできたかな、と思うだけで。私の場合欧州であれば2日あれば十分でチュニジアですら4日目には大分慣れていたのだが、他の人々はもっと時間が必要なのですね、その国に慣れるのに。自分自身ではこの「慣れやすさ」をノーマルだと思ってるので、異様に早いとも何とも思わないけど。
ところで、金曜日に韓国人の男子たちに会ったときに、彼らは「日本人はやや韓国人よりファッショナブル」だから、外国で出会ったとしてもその人が日本人だと判別できる、と言っていたが、別にそうとも思わないけどな、と思いつつもそう思っていただけるのは私にとってやぶさかではない。急に自分の着てる物を気にしだしたりして。試しにバニラにも、日本人と韓国人と中国人を区別できるか、と聞いてみて、紆余曲折を経て私が理解した内容を要約すると「日本人と韓国人の顔は似ているけれど中国人はちょっと違う。しかし自分は標準的中国人の顔立ちとは違うようで、韓国を旅行した際には出会う人すべてに韓国語で話しかけられ、香港にいったら英語で話しかけられた」と言っていた。面白いねぇ、これ。知り合いの日本人男子が韓国に行った際になんかのタワーに行き、最上部に上がるエレベータの中で係りのお姉さんが案内のアナウンスを放送してくれたのだが、その中にはお姉さんのほかには彼とその友人しかおらず、そして彼らは一言も日本語を発していないのに日本語の放送を選択して流された、と驚愕していたことがあったのだが、彼いわく「韓国では一度も韓国人に間違われなかった」と。私も中国人、韓国人から彼らの同郷の者と思われたことは一度もないよ。しかしバニラは韓国人から同郷のものと思われたことが何度もあるわけで、東洋人同士はある程度の見分けができる、と思っていたのが間違いであったことがここで証明されたことになる。
どんどんとりとめのない内容になってきたのでここでやめるが、要約すると「いろいろあったけれど毎日楽しく生活している」というところでしょうか。なんかバカっぽいな、私。

*1:インフォメーション、インフォメーションと何回も言われて、何のことかと思ったらcountryの間違いだった。彼女が本当に伝えたかった単語が分かってしまった自分の言語能力に驚愕。