マルタでロリータを読む

水曜日である現在、月曜日の日記を書こうと試みているのですがもはや記憶がない。多分たいしたことをしてなかったんだと思います。少々本を読んで、買い物に行って、途中で同居のドイツ人に出くわし彼も買い物をしたようなので何を買ったのかたずねると「シャツを買った。たった20ポンド*1。安かった」と言われて、シャツに7000円なら高くはないわな、確かに、と思っていたら実はそれは冗談で本当は5ポンド*2だったので金銭感覚の違いに気づかされたくらいか。
あぁ、なんかだんだん思い出してきたぞ、月曜日のことを。本当は書くことがないから日曜日のことでも書こうと思ってたんだけれどな。買い物から帰ってきてから私はロリータを読んでおったのである。たまたま日本から先だって文庫化したロリータの新訳を持ってきてたからペーパーバック判と照らし合わせながら読んだら面白いかと思って。こんなにもゆっくりと時間をかけて丁寧にロリータを読んだことはないぞ。そして自分の身をロリータに置き換えてみると、気持ち悪いなぁ、ハンバート・ハンバート。子供のときにこんな男が身近にいたらトラウマになりそう。しかし私は全然ロリータみたいな子供ではなかったので、きっと身近にハンバート・ハンバートがいても無事であったであろう。ええもう、どうせニンフェットじゃありませんよ。
そうそう、それで居間でロリータを読んでいたらホストマザーと同居ドイツ人ステファンに怪訝な顔をされたのである。なんでよりにもよってそんなモン読んでんの、みたいな。私はブックカバー文化を全世界に普及したいと切に思う。最初は「ちゃんと中身を読んでから判断してくれ」とか思ったわけだけれど、中身を読んだとしても人によっては小説そのものの面白さじゃなくて筋書きしか意識しないわけだから依然としてロリータは「そんなモン」扱いなわけで、よって私が悪趣味な人間であると思われないためにはブックカバー文化を普及し、かつ興味なければブックカバーの中身について尋ねないということを人類全体のコモンセンスにする必要がある。…それ以前に人前で本を読まなければいいような気がするが。
ステファンがやってきてから色んな人と話す機会が増えたのだけれど、人と知り合うごとに自分の孤独を思い知らされる。あぁ、私にとっての面白い話は人々にとって面白くなく、そして人々にとって面白い話に私はあんまり興味がない。どうせ私はくそったれのつまらんインテリですよ、おまけに無職だし、と変ないじけ方をしたり。私みたいなちゃらんぽらんな人生の人は世界的にも稀のようですよ。今までどんな仕事をしてたのかと聞かれて答えると大体絶句される。日本人だけでなくても常識人はひとつの職についたら、転職はしても職種までは変えないようで。日本においてもたまにそういう疎外感、つまり世間の標準からずれているという認識はあるのだけれど、当然ながら今までの30年の人生において知り合い友人となってきた人々とはあんまりずれていないわけで、だから楽なんだな、きっと。チェコにいたときみたいに毎日ぼーっと、なんとなくビール飲んだり、なんとなくカフェで本読んだりする生活がしたいよ。私の意志とは無縁に人間関係が新たに作りあがってしまったから、若干の疲れを感じるのでしょう。

*1:約7000円

*2:約1750円