微妙な話題が相次ぐ

先週知り合った韓国人男子のうち15歳の少年が私んちの中国人バニラにフォーリン・ラヴだそうで。今日の午後彼女に会いに家にやってくることになりましたよ。あんまり他人に興味のない私は滅多に異性を好きになったりしない*1のでやや感慨深い。おぉ、こうやって若者たちは恋愛モードに突入するのだね、と。学習させてもらってます。いまさらだけど。彼が彼女にフォーリン・ラヴの事実を伏せてステファンが「ナイスなコリアン・ガイが君に会いにくるよ」というと何故か彼女は「日本人や韓国人は私の顔が好きじゃない」と両手で顔を押さえてる。おいおい、なんでだよ、大して変わんないじゃないか、日本人や韓国人に好まれないなら中国人にも好まれないはずだぞ、しかし私に言わせると彼女はまあまあ可愛い顔をしている。歴史的な背景からの発言ではあるまいね? 気になって一人になってからしばらく考えて合点がいった。つまりlikeの用法間違いということで。彼女の真意は「日本人や韓国人とは自分の顔は似ていない。違った顔つきをしている」と言いたかったのだ。…しかしつい先日「韓国でよく韓国人に間違われた」という話をしたばかりなのだが。疑問は残るがとりあえずこの場は「顔つきが違う」というのが正解なのでしょう。
その後私は学校をサボってヴィットリオーザという街に行き、なぜ学校をサボったのかと言うと毎週火曜日にその街でかなり大きなマーケットがあるからなのだけれど、品揃えの豊富さ、規模の大きさは認めるもののほしくなるようなものは何一つとして見つけられなかったのであった。学校をサボったと言う開放感からお昼にはビールを飲んで赤ら顔。いや〜、ビールってすばらしい飲み物ですね!上機嫌のまま帰宅、しばし午睡。
目が覚めると階下からにぎやかそうな声が。ナイスなコリアン・ガイはもう到着しているようである。私が様子を見に行くとそこにはコリアン・ガイとバニラしかおらず、ステファンはどうしているのか、と尋ねると「唐突に宿題をやりに自室に戻っていった」と。なんてあからさまな。しかしそうしたら私もここはさっさと退散すべきなのか?と思案していたらバニラが「中国に電話する」と自室へ。残されたのは15歳の少年と私の二人きり。これじゃ退散できないよな。
しばらく喋っていたらステファン登場。何でか忘れたが国の豊かさの話へ。少年が「現在韓国はイタリアよりも豊かだ。しかし軍事費に関して日本とは比べ物にならない。日本はたくさんの武器を持っている」と微妙な話題へ。ステファンが調子にのってよく知りもしないくせに「そうだそうだ、核兵器も沢山持っているんだろう」と。なんてことを。持ってないよ、という話をしようとしたら再び話題は韓国の話に移り、少年は少年ゆえに正直だからいきなり「北朝鮮と統一したくない」と。ステファン「なんでか。北の人間はみんな悪い人間だからか」と。あぁ、ステファンは東ドイツ出身なのであった…。今朝もこんなことが。何かするとすぐにバニラが「サンキュー」と言うので「なぜそんなしきりにサンキューと言うのか」と。ホストマザーが「アジアの人の方がヨーロッパの人間よりも礼儀正しいからよ。時々ヨーロッパの人間は傲慢なときがあるから」と。そうしたら「確かにね、特に西ドイツの人間は傲慢だよ」と。
少年との会話に戻るけれど彼はこのとき「北朝鮮は非常に貧しい国だから統一したらきっと沢山の問題がおきる」と。なんだかちょっとハラハラしてしまったのだけれど、唐突に少年が「おしっこしたい」と言い出してこの話題打ち切り。話を続けたいような、打ち切られて安心したような。
その後少年は家に帰り、夕食時に定刻どおりにテーブルについたのは私だけ。ステファン30分遅刻。バニラは結局登場せず。ホストマザーは「声をかけたら返事をしたのだけれど、何を言っているのか分からなかった」と。そして「正直言ってちょっとこれは態度が悪いと思う」とご立腹。当然だけど。ついでに私は彼女のその気分に便乗するかのように「食事中の彼女の咀嚼音についてどう思うか?」と。なんて他力本願。誰かが彼女に「咀嚼音やめて」と言ってくれないかなぁと思ってたのですよ。それが彼らの文化だと言えば仕方がないのだから受け入れねば、しかしあのクチャクチャ言う音は耐え難い。精神的じゃなくて生理的に耐え難いのですよ。そうしたら「多分中国ではそれが普通なのだから、私たちはそれを受け入れなければ」と。そして「日本人でも前に年配の男性がこの家に滞在したことがあったけれど、彼はクチャクチャやってたわよ」と。あぁ、確かに。たまにいますよね、日本でも。若者でもたまにね。もっとも私はそういう人とは二度と食事に行かないが。その人自身はいい人だったりするから、食事以外の時間を共有すれば問題ないと思うし。私自身は自分の育った家庭には食べ方の汚い人はいなかったし、というか食べ方には割とうるさい両親だったので物心ついたころにはナイフとフォークの使い方を習わされたりしていたので、当然ながら家族との食事においては何の問題もなかったのだが、こうやって、全然友達でも知り合いでもなんでもない赤の他人と一緒に暮らすとなると、日々耐えねばならないことがあり、それなりに大変なもんですね。私の滞在している家では自分の食べられる量だけ自分の皿に持って食べる方式なのだけれど、一度バニラがジャガイモかなんかの料理を自分でよそっておきながら、それをフォークでつぶして弄んだだけでほとんど食べずに残し、そして鼻をかんだティッシュをその上に置いたときはあんまりだと思いましたよ。
こういう不都合って新婚家庭とかでも起こりやすいのでは、と思います。というのは現在では私とバニラとの関係は悪くなく、程よく距離をおいてくれるのでもし彼女が他の家に住んでいたら何の問題もなかったと思うのですよ。時々「これは堪らん」を思うのは概して生活習慣にかかわることなので、たとえば日本人同士で結婚したとしてもそれぞれ育った家庭によって生活習慣は異なり、そして相手が外国人であれば「外国人なのだから仕方がない」と諦めがついても、相手が日本人であればつい無意識に同じような生活習慣を相手に求めてしまい、何らかのトラブルを引き起こすのでは、と。ここで私が一人暮らしを選択したら何の問題もなく平穏に暮らせるのだろうけれど、それもなんだかなぁ、と思い、異なる習慣を持つ人とうまく暮らしていく練習をしているというわけで。イタリアに住んでいたときは同居していた人々と本当に干渉しあわず、気が向いたときだけ共有スペースに行ってその場にそのときいる人と会話する、という感じだったので本当に楽だったのですが、今回はもっと同居している人との関係が密で、楽しいことも多々あるのですが面倒くさいことも多く、何が書きたいんだかよく分からなくなってきたがマルタでの滞在は2ヶ月で丁度よかったような気がします、ということで〆たいと思います。あと3週間弱で帰国。早いもんだな。

*1:他人の存在をちゃんと認識するのに時間がかかるから。