o-tsukaさんづいてる今日この頃

アンテナをチェックしてたらid:watashiha_umiさんの日記のところに将来の夢に対して『小学生のときは「ペンギン村村営警察署長」』と書かれているのを見つけ、なんだこりゃ!? と思ってよく見たらid:o-tsukaさんであった。o-tsukaさん、マイミクありがとうございます。今後とも4649。あ〜、こんなバカなことを書いて、激しく後悔しそうだぞ。しかし自分を止められない。4649じゃなくて夜露四苦の方がいいかな。あぁ、ますます後悔しそうだ。私はもうおしまいだ。
仕事について書こうとしていたのであった。本当はwatashiha_umiさんのところにコメント書こうと思ったのだけれど、近頃人様の日記にコメント書くのに躊躇いを感じるお年頃なの。ホラ、私って、友達いないでしょ? そんな私が、気安くコメント書いちゃっても、いいのかな、って。…誰? この人。私、一体どうしちゃったの? 心にもないことを。友達があまりいないのは本当だけどさ。だから今もサーティーズの日程調整で皆さん都合のつかない日があるのを知るたびに、いいな、皆ちゃんと予定があるんだ、私は、このままだと、予定が永遠にない…*1。と黄昏る遊びをして暇つぶしをしているのだ。
なかなか本題に入れない。watashiha_umiさんの日記とコメント欄にやりたい仕事について沢山書かれてるのを見たのでした。何の仕事をしたらよいのか、という問いかけは、私は長いことし続けましたよ。29歳あたりで仕事だけじゃなくて人生の諸々がいきなり吹っ切れだしたのであった。なんなのかね? あれ。やはり加齢という要素が一番大きいのだろうか。しかし29って、長いな〜、と思ったのだけれど、職業に関してまじめに考え出したのが25歳くらいなのでスタートにつくまでも長かった。25歳になるまで何の仕事をしたらいいのかという事を考えたことがなかったのですよ。だからもうそれからは職業と関係なく、定職についていないという好機をいかして思いついたことはとりあえずやってみる、という生活を数年。吹っ切れたと書いたが、じゃあやりたり職業がみつかったのか、というとそういうことではなく、何かやりたい職業を見つけなくては、という考え方が半ば強迫観念であることに気づいただけ。お金儲けとやりたいことを同時に実現しなくてもいいんじゃないかなぁ、と気づいたのでした。つまりですね、面白いことしかできない、というハンディキャップを背負ってることを自覚したのですよ。ようやく。で、面白いことをやってたらいつの間にかお金が生じていた、という状況になればよいのだけれど、大体お金を生むことを先に考えると面白さを完璧に追求することはやや難しくなると思うのだ。お金を生むために何かをするのではなく、面白さのためだけに何かをしたい。ということで私にとっての面白さを職業に求めるのをやめたのだ。そこそこ面白くてお金も稼げる、じゃなくて、面白さは面白さ、金儲けは金儲けで完全に区別することに。性格が極端なので妥協ができない。お金は、とりあえず一人で生きてゆけるだけ稼げてれば良いかな〜、と。とはいえ今後もあわよくば「面白いことをやってたら自然とお金もついてきた」という状況にならないか隙を狙ってゆくつもりだが。
振り返ってみると29から30にかけて、というのは、ようやく自分がどういう人間で、何ができて何ができないのか見え、かつそういう自分を「まあ受け入れなきゃなるまい」と腹をくくり始めた年頃だったのだろう。だからいろんなことに対してあんまり焦らなくなったし、若干落ち着いた気もする。一人でこの境地に達したわけじゃなくて、身近にいた人による部分が大きかったようにも思うが。要するに人生だいたいなるようになるってことですよ。こう書くと随分いい加減な感じだが、でも正直な感想はこれだ。まあ若い人々はこれから好きなだけ苦悩して、何らかの境地に達してください。教訓臭いか? 教訓ジジイ。そうでもないか。重みないもんな、文章に。あぁ、私は年をとったらババアじゃなくてジジイになりたい。というのはババアよりもジジイの方が語感が好きだからだ。なによ!この耄碌ジジイ、と若い子に罵られたらちょっと面白かな、とよく分からん妄想を抱いているのでした。気力減退から回復傾向にある予感がする。

*1:無職だと「あ〜、この日は仕事が入っちゃってて」というせりふを使うチャンスすらない。