すぐ電車に反応するよね

風邪引きました。喉痛いし吐き気するしだるいし、こんなに辛いのなら死んじゃった方がマシ、といっても症状はさほど重くない。脆弱な精神をしているだけです。打たれ弱い性質。症状が軽い証拠に、ネコが一緒に寝てくれません。本当に調子悪そうにしているとネコというのは何気ないふりして傍にいてくれたりするもので、胃に激痛が走った昨日などは添い寝をしてくれたのだけれど、今日は私の顔を見ただけで凄い勢いで逃げてゆきました。何もしてないのにあんなスピードで逃げるなんてひどい。
ちょっと前に書いた日記を読み返したら中央線の新型車両が私のいないうちに薄汚れていたことに嘆いているエントリ発見。ふと思い出した昨日の出来事。知人と一緒に本屋に出向いたところ、なぜか新刊でもないデイリーポータルZの本「おとなの自由研究」がフェア台に乗せられており、目次だけパラパラ見ていると何だったか忘れたが電車関連の項目があり、「ホラ、電車だって。面白そう」と言ったら「すぐ電車に反応するよね」と言われた。そうなのだろうか。自覚は全くないのだが。そういう言い方をされたらまるで私が鉄道マニアみたいじゃないの。マニアではないよなあ、絶対。彼らのような集中力も執着心もないもん。知人の言のどこにショックを覚えたかというと「反応」という語だと思う。反応って、ねぇ。そんな言い方だから事実に反して私が電車マニアのように聞こえてしまうのだよ。じゃあどんな言い方ならよいのか。「電車には目がないよね」とか?
鉄道マニアではないという自覚のある私であるのに、あたかもマニアであるかのような言葉をかけられたがために自己認識との食い違いに驚きを隠しえなかったわけであるが、その食い違いが生じた理由を考えてみたら、割と簡単に答えがみつかった。要するに私は鉄道マニアに興味津々なのだ。言うなれば鉄道マニア好きか。鉄道に対して心から幸せそうに、興奮しながら語る人々を見るのが好きだ。面白いなぁ、って。鉄道に対してかくも幸せそうにしている人を目にすると、そうか、鉄道というのはそんなに面白いのか、よし、ここはひとつ私もそういう目で鉄道を見てみよう、そんな気になるのだ。で、マニアの仲間入りをしたかのような錯覚が得られて楽しくなったり。自己認識では「私は鉄道マニアではないけれど、マニアのように振舞ってみたい。もっと人生を楽しみたい」なのだけれど、それが他者の目には単に軽く鉄道マニア風に映ってしまうのであろう。
症状が改善されてきたからネットやってたんだけれど、バカなことを考察してたら悪化してきた。あ〜喉いたい。吐き気がする。気持ち悪いよう。もう死んじゃいたい。こんなに辛いなら、生きていない方がマシだよ。さようなら。