生き方について思う

PCの状況がかなり危険。「たいそう」を変換したら「ή␀」になった。なぜにテンソル
どうせ無職で時間はありあまっているのだから英語の勉強でもしようかと思ったらPCを起動しネット遊びをしてしまった。自分が分からない。途中で「英語英語…」と本来の目的を思い出したのだがPCから離れることできず。BBCとかNikkeiとかNHKワールドニュースポッドキャスト登録したりして、こんなにあっても絶対ちゃんと聞くことは不可能だよな。昔からそうなのだけれど、何かを始めるにあたって準備だけは頑張ってしまい、もろもろ揃ってしまうとやる気をなくす。本当にやる気があったのだろうか。多分ない。
何も行動していないので日記に書く事がない。何を書こう、書くことないけど、とディスプレイの前で固まること数分。軽く死んでいた。こういう時は魔がさしやすいのだ。ということでウザい文章を書いてみたくなっちゃったぞ。自分の気持ちに正直に生きることにしたの。だから書きます。
「テンポラリーのジョブをルッキン・フォーしてるんだけれど、実際に話が来るとすぐアンウィリングになっちゃうの」
うぜぇ。自分自身に辟易。しかし狙った以上のウザさにやや満足。書いていることは本当で、次に日本脱出をするために短期で働きたいのだが、働きたいというのが然程本心ではないので(本心としては永遠の無職でいたい)、仕事の話が来ると「また毎日朝早く起きて電車に乗らなくてはいけなくなるのか…」と暗い気持ちになる。金持ちの耄碌ジジイが私を嫁にもらってくれないだろうか、とぼんやり夢想したりするのだが、アメリカの元プレイメイトが大金持ちの老人と結婚してたった十数ヶ月で夫が死亡したけれど遺産相続問題が解決しないうちに周辺の人間も本人も死んじゃったりしてたので、そううまくはいかないのであろう。生きてゆくのが難しい。