れ足す言葉

本日も705NK遊び。テクノロジーって素晴らしいね。素敵だわ。本日はPDICという辞書のデータを形式変更して705NKにぶちこみ、携帯で英和、和英、英英辞書が使えるようにしました。あと伊和もね。ちゃんとした電子辞書と比べると、フリーのデータを使ってしまったので全然ダメなのだけれど、携帯電話で辞書が使えるようにカスタマイズできるという事実が喜びなのです。PerlなんかもノートPCで使えるようにしちゃったりして。こういう作業を喜んでこなしている自身の姿を客観視したとき、ああ、私は本当に理系の人間なのだな、と実感するのでした。というのは嘘だけど。オタクの人はいいなぁ。何のオタクであるかによるけれど、パソコン関係のオタクの人はすごいよね。きっといろんな技を持っているにちがいない。私もオタクになりたい。お、またぞろオタクに憧れる気質が出てきたか? なんで私はオタクに憧れてしまうのだろう。
19時台のNHK教育でルグリのバレエレッスンというのをやっており、昨日はイリ・キリアンだったかな? 甥っ子がいたのであんまり集中して見られなかったのだけれど、そのあと続けて放送されていた日本語の5分程度の番組が面白かった。れ足す言葉ですって! もう随分前にら抜き言葉が問題視されていた折、当時若者であった私自身はら抜き言葉を使用しないため、それが何を示しているのかわからず、母親に「ら抜き言葉って何さ?」と尋ねたところ「らを抜いて話すことよ」と言われて、それくらいのことは分かるというか、それ何の説明にもなってないし、とか思いつつそこで会話終了。しばらく「ら抜き言葉って何?」と思いつつ日々を送っていたところ、ある日SMAP稲垣吾郎が「知ってるつもり」かなにかに出ていてその日クローズアップされていた人物が恋人か何か忘れたが誰かと添い遂げることが出来なかったことに対して「一緒にいれなかったんだな、って」と言っているのを聞き、「これがら抜き言葉か!」と、まるでヘレン・ケラーの「ウォーター」なみの衝撃を受けたことは今でも忘れられない、ということを「れ足す言葉」を聞いて思い出した。
れ足す言葉というのは文字通り不必要に「れ」を足すことなのだけれど、テレビで出ていた具体例をここにあげると「書ける」「読める」といった物。言葉が乱れとる! などと怒る気は更々ないが気持ちは悪いね、書けれるって。そのうち聞きなれたら違和感なくなるのかもしらんが。誰が集計したアンケートか知らんがとあるアンケートによると世の中の17%くらいの人々がこのれ足す言葉に違和感を感じないらしい。しかし愛知・静岡・岐阜の3県では年配の人々でも多くの人が違和感を感じないと回答しているらしく、れ足す言葉が広まった背景には一説に方言が一般化したと言われているらしい。しかし他の説ではら抜き言葉による影響だと言うのがあり、それは何かというと「られる」の「ら」を抜いたのがら抜き言葉で、「れる」で意味をなすと誤解してしまったために無駄に「れ」を足してしまうようになったのではないか、という話。
この「れ足す言葉」が面白かったので夜、知人に電話して相手はそんな情報を求めたことなど一度もないのに事細かに報告すると、相手が「れを足してる人たちは活用が分かってないということだよね。未然連用終止連体…」ヒィ〜! 思わず悲鳴あげちゃった自分に吃驚。中学時代に塾で文法は習ったような気がしたのだが「あんまり覚えたくないな」と思い、そしてそう思った事実からも目をそらし、何事もなかったかのように知らないフリして今まで生きてきたということに今気づいた。触れられたくない過去に触れられた思いだ。ああ、色々思い出してきたぞ。別に日本人だし、日本語喋れてるし、という言い訳で文法事項は尽く避けて生きてきたのだ。もういっそのことこれまで口にできなかった、人には気づかれたくない私の無知をさらけ出してしまおう、そう自棄になっていきなり告白に突入。「本当のことを言うと、形容詞と形容動詞の違いがわからない。あと助詞と助動詞も」。電話の向こうでネットを使って説明方法を調べてくれているのは分かるのだが、耳がそれを聞くことを欲さないのです。「動物のお医者さんに出てきた何かの語呂合わせは一回で覚えたんでしょ? なんでこんなことも覚えられないの?」だって。ぎゅうぎゅうの口の勘の狂った短気のデブのことか。興味ないことは覚えられないんだよ、人の顔と名まえとか。少しでも面白いと思えば覚えようと思わなくても自動的に覚えちゃっているのだが、ほんの僅かでも、それが無意識下でも、面白くないな、と感じるとまず覚えられない。テスト前日に覚えるというのは出来た気がするが、答案用紙に回答を記入した時点で記憶喪失。1回しか使用できない超短期記憶。
あ〜、頭悪そうな日記だな。しかし私、国語は得意だったのですよ。数学も英語もそれなりに勉強したことがあるが、国語だけは勉強したことないもんね。全部カンだよ、カン。センターも古文・漢文ですら「別に日本語だし」と強引な思い込みで乗り切った。ちょっとでも「面白くない」と感じると一切覚えられないし勉強することもできないという私のこの性質、ハンディキャップじゃなかろうか。かわいそうな私。