ロッパの悲食記

ロッパの悲食記 (ちくま文庫)

ロッパの悲食記 (ちくま文庫)

昭和の喜劇俳優古川緑波の日記。裏表紙に「食物に対する見事なまでの執着心」とあるように、ほんとすごい。「悲食記」は戦時中の日記で、つまり食糧事情が非常に悪かった時代。まずい飯を食べては「哀しい」と言い、旨いものを食べるとえらい喜びよう。しかしね、この「哀しい」が冗談じゃなくて本気で哀しそうなのだ。他にも食にまつわるエッセイが収録されており、非常にうまいものを食べたあとは数日間何を食べてもまずかったとかなんとか。私も食い意地と食物に対する執着心はかなりのものだけれど、この人と比較したら全然お話にならん。江戸っ子のロッパさんだけれどマグロがダメだったり他にも何だったかな、江戸っ子らしい食べ物でダメなものがあり、その代わりといったら何だけれど洋食はかなり好んで食べていたようだ。語り口が独特というか何というか、食物に対する執着心がよく現れており、ポタージュを期待して入った店でぬるいポタージュが出された折にはこんな風。

ポタージュのぬるいのなんか犬に食わせろ。

まあぬるいのはあんまり気分がよいものではないが、そこで「犬に食わせろ」とまで思うのは結構すごいよな。

近頃はプディングにでも何でも、生クリームを附けるが、こんなことは間違っている。

要するに甘いものに滅多やたらと生クリームが添えられているのが気に入らないというだけの話だろうが、「こんなことは間違っている」って、ねぇ。
ということでこのロッパさんの執着心を目の当たりにしているだけでも面白いのだけれど、戦中戦後の日常がどんなもんか見られるのも面白さのひとつだと思う。普通に「省線」って言葉が使われてるのを最初に目にしたときは「おぉ」とちょっと感動した。今となっては省線なんて言葉は死語だけれど、この当時はそれが普通だったんだよなぁ。あと印象深かったのは、京都だったかな、芸妓さんたちと洋食を食べに行き、各々が自分の食べたいものを注文していたのだけれど、その中の一人が注文したときの言葉。

「ハラボテお呉れやす」

オムライスのことらしい。ハラがぷっくりと膨れている様を妊婦に見立てたとか。すごい表現だな。オムライスがハラボテか。
ロッパさんお気に入りの店の名が多々登場して、読んでいるともう必然的にその店で食事がしたいと思うようになるのだけれど、残念ながらケテルレストランは数年前に閉店。ジャーマン・ベーカリーも閉店。他の店も殆ど閉店で今となっては味わえないものばかりだ。まあ仮にその店が存続していたとしても同じものは食べられないわけだけれど。でもねぇ、雰囲気だけでも味わいたいじゃないか。あとは残念なのは牛鍋。昔は関西ではすき焼き、関東では牛鍋といってそれぞれ別の料理だったものが、次第に関東でも牛鍋じゃなくすき焼きを食べるようになっていったらしい。この牛鍋のことをあれこれ書かれていて、そのせいで食べたくなっちゃったのに現在では食べるチャンスのない私は一体どうしたらよいのだ。浅草の今半なんかもかつては牛鍋屋だったらしい。尤も、多くの店では実質は牛鍋で名称だけすき焼きと改めて料理を出していたらしいけれど。私は「牛鍋」の名を掲げた店で牛鍋が食べたい。というわけで現在私はロッパさんが食べていたものが無性に食べたいと思っているわけだが、それをかなえるのは難しいだろうな。銀座の煉瓦亭くらいか、簡単に食べられるのは。でも煉瓦亭のことは私はあんまり評価していないのであった。あぁ、残念。