護国寺のイメルダ

その日の日記をその日の朝に書くという矛盾を遥かに超えて、翌日の日記を前日のうちに書いております。ある意味、未来日記。昔そんな番組があったなぁ。私の大嫌いなタイプの番組。「あいのり」とか。凄い嫌いほんと嫌い。どうにかなんないかね。まああんまりテレビ見ないから問題ないのだが。
学生時代に大学の近くに住んでいた研究室の先輩が大変な靴好きで、『護国寺イメルダと呼んでちょうだい』と言っていた、というお話。これを唐突に思い出して、だからどうという話でもないのだが、ちょっと面白いな、と思ったので家人に話したところ、「イメルダって誰だったっけ」との返答が。
80年代生まれの者はイメルダ・マルコスを知らないのか!?
いやいや吃驚。ジェネレーションギャップ。我々の世代ならば間違いなく知っているだろう、イメルダ・マルコスの5000足の靴のことを。ちょっと傷ついたぞ、私は。80年代生まれの者に若さをアピールされて。まるで70年代生まれが旧世代のような態度を取られて。なんだ私は、生き字引か。昔話ばかりするうるさい老人か。というのは、私が自意識過剰というか過剰自己防衛というか、まあそんなもんだ。
しかしだね、実際のところ私はあんまり自分が老いていっていることに対して自覚がない。大体、鏡をまじまじと覗き込むことがないからあんまり容貌が老いていっているのに気づくチャンスがないしね。外国において日本人は大体若くみられるものではあるが、マルタで知り合った大変感じの良い韓国人女子(21)に同世代に思われて、実際の私の年齢を知られたときに絶句およびドン引きされたことがあり、同じ東洋人である韓国人ですら私のことを大分若く思うとは、まだまだ私も若く見られるんじゃないか? などと多少おこがましい考えをもちかけたことがある。いや、ちゃんと分かってますよ、自分が三十路だってことを。今ではもう三十路が板についちゃって、まるで生まれた時から三十路だったみたいに感じるくらいだよ。
でもでもやはり、自分が二十代の頃に思っていた三十路像よりも自分を精神的には若く(或は青臭く)感じており、なんでか、と考えてみたところ、分かった。学生じゃなくなっちゃったからだよ、きっと。学年が上がらなくなった時点で歳をとらなくなったかのような錯覚なんだよ、多分。あー、ほんとに思い違いだ。学年が上がらなくてもちゃんと歳はとってるのに精神的にサザエさん状態。永遠に歳をとらないモラトリアム。最悪。
そういえば先だってサーティーズで、graceさんの合コン話を聞いたおりに、なんだか様子が私の期待していた合コンと違うのでその違和感を述べると、皆に私が期待しているのは『二十代の合コンだ』と言われたのだが、二十代の合コンにぜひ参加してみたいが三十代なので無理、と述べたところ、いやいや、まだサバをよめるでしょう、と。重ねてgraceさんに、
「腕にBCGの痕とかなければ大丈夫でしょう」
めちゃくちゃあるよ、BCGの痕。どうせ三十路だよ。ということは夏場は無理なのだな? 二十代の合コンへの参加は。というかそれ以前にもう、ここ2〜3年くらい何度と泣く合コン参加への欲求を人々に訴えておきながらもその欲求は満たされていないので、どんな季節だろうが参加は不可能なんだろうけれど。そしてサーティーズのあと、帰宅してからウチの80年代生まれにBCGの痕の話をしたら、「あ〜、ないね。確かに」とかる〜く否定された。なに、BCGって70年代生まれ以上の者しか体験してないワケ!? 傷つきやすい私はそしてまたもハートブレイク。人知れず部屋の片隅で体育座りをしていじけたのでした、というのは嘘。流石に体育座りはしませんでした。おわり。