私の日記がつまらない理由

なんだかここしばらくの間、日記に対するモチベーションが非常に低くて、週末にかけての更新の頻度がそれを如実に物語っているのだけれど、その理由が判明。書く事がないというのは真実ではなく、事実今日もたとえば職場の人に『姿勢が良くてかっこいい』とほめられ、『姿勢が良い』というのは褒め言葉としてはやや抽象的でどれくらいいい事なのかはよくわからんがほめられて悪い気はしない*1、そういや高校生の頃は『目が大きい』とか『まつげが長い』とか『顔が小さい』とかほめられたものだけれど、『美人だ』という褒め言葉はついぞ一度も聞いた事がなかった、配置のなせる妙か、パーツが良くてもそれが即、美人と結論には至らないらしい、という哀しい事実を思い知ったり、ヴィヴィアン・タムのドラゴン刺繍入りの服を好んでよく着ている私は職場の人に『昇り龍だね』と言われる事が多々あるのだが、その都度ついうっかり『辰年生まれだから〜』と答えそうになるのだが、そんなことを口走れば私よりも大分若いと思われるその相手をビビらせるはめになるので自粛自粛、などと思ったり。或は携帯メールのレスを即返すべく購入した秘密兵器(=ワイヤレスキーボード)であるが、その秘密兵器を携帯するのを忘れてもう10日近く前にもらったメールのレスをいまだに返していないなぁ、と遠い目をしたり。そして仕事を早退して出向いた結婚式場の人との美容打ち合わせでは髪型をどうするかと問われて『わかりません』、生花を髪に挿すが何色がいいかと聞かれて『ブーケと同じでいいです』、ブーケの花の色はと問われて『白は…、なかったと思うんだけど…、赤だ、赤。あれ? 赤だったっけ。ピンクだ! …オレンジだったかなぁ。忘れました』と答えて失笑された。
かくも一日の間にさまざまなことを感じたり思ったりしている感受性のつよい私ではあるが、ではなぜ日記に書く気力がなくなってしまったのか。答え:文章にする前に夫に全部話してるから。流石に実家にいたころはこんなどうでもいい話を聞いてくれる人はおらず、友達が少ないわりに非常におしゃべりな私は一日の出来事を胸の内にとどめておく事ができずに日記という形で吐き出していた訳であるが、結婚したら話す相手が毎日家にいるんだもん。あんまり聞いてなさそうだけど、相手は*2。一度しゃべってしまえばとりあえず満足、というか吐き出せる場所があれば十分なので日記が面倒くさくてたまらん。さほど面白くもない日記がますます面白くなくなったのは全て夫のせいです。結婚は、人を駄目にするものですね。一人暮らしでもしようかな。
ところで今日、上にも書いたが美容打ち合わせのために式場である都内の某ホテルに出向いたとき、予約の時間までにすこし余裕があったのでラウンジでお茶をしていたのだが、なんだか周囲の他の客の誰も彼もが欧州旅行の話をしているのである。しかしエグゼクティブ風のおっさん二人は『カルチェラタンが…』とか『モンサンミッシェルは…』とか話しており、有閑マダム風の二人組は『バレエ三昧の旅行はいいですわよねぇ、本場の方はやはりスタイルが違うから』と日本のバレリーナをバカにしおって、何さ、自分なんかもっとスタイル悪いクセに、と心中悪態をついてしまい、おなじ欧州旅行好きでもこの人々相手に私のモスクワの空港で頑張った話なんかしても、絶対ドン引きなんだろうなぁ、と哀しい思いをしたのでした。そしてしばらくぼーっとしていると、先ほどのバレエ三昧マダムたちの話題が再び耳に。今度はファッションの話をしているらしい。
『ブーツなどは履かれるの?』
『最近はカラータイツが流行なのよね』
『○○さんなら、タイツがお似合いになりそうだわ、そうあの色! ボールド色!
ふ、太字…? 新ゴBとか? それともシーダ6? 皆目分からん、てのはちょっと校正やりすぎな感じのコメントか。恐らくボルドーを指していたのだと思われるのだが、マダムの世界ではボルドーをボールドと言うのだろうか。ああいう人々の前でボルドーなどと口走りでもしたら『あらいやだ、クスッ』と笑われちゃったりするのだろうか。分からん。ボールド色の謎、それが今の私の一番の懸案事項である。

*1:そうしていい気になった挙げ句、意識しすぎて普段の3割増くらいで胸をはって歩いてしまって逆効果であった。

*2:ものすごく適当なあしらいを毎日されているので非常に不愉快。80年代生まれのくせに生意気。