1月6日の日記

本年初の日記である。この年末年始は大変だった。名古屋に行くついでに豊橋に住む祖母の家に顔を出し、久しぶりに会った祖母は大分弱っていたのだがそれもその筈で、本日、1月6日で98歳である。生きてる期間がほぼ1世紀。ここ数年は流石に大人しくしていたようだが、80代まではおばあさん仲間とディズニーランドに行ったり、能を観るのだと言っては一人で千駄ヶ谷能楽堂に来たり、海外旅行なんかもしていたらしい。更新をしていないので失効しているが、車の免許も持っていたそうなので吃驚である。今98歳のおばあさんで、かつて車を乗り回していた事のある人はどれくらいいるのか知らんが、まあ稀であろう。
祖母と会ってから名古屋に移動し、コメダ、山本屋で味噌煮込み、ナナちゃんの撮影などをし、この日は名古屋に宿泊。翌日中央本線で長野方面に向かってうちのやつの実家に行き、2日には私一人で実家に戻ってきたのだが、両親から年末に会った豊橋の祖母が急に入院したと聞いて翌3日に急遽豊橋に移動。4日未明に亡くなって、その日の夜に通夜、翌日葬儀で帰りは兄の運転する超暴走自動車*1で東京に戻ってきた。なんだか何をやっても絶対に死なない感じの祖母であったので、亡くなったのが今でも信じがたい。一連の儀式の準備をし始めると、『棺桶には自分で写経したものを1000枚入れてほしい』と既に指定してあったらしく、ちゃんと写経も用意してあり、遺影は遺影でこれもまた既に7年くらい前に用意してあったらしく、非常にいい顔をしてうつっている写真がある。豊橋の家の隣がお寺さんで、お坊さんに来てもらうと「法名はこれにしてほしいと5〜6年前から言われていたので…」と法名も決定済み。葬儀の際に飾る花の種類までもが指定されており、残された遺族の決める事は何もないのであった。段取りが良すぎる。しかも亡くなったのもまだ正月休みの最中であったので、東京から大阪まで、方々に暮らす親族のほぼ全員が死に目に会えた。凄い祖母だとはかねてから思っていたけれど、死に際まで凄すぎる。しかしそれにしても信じられん。あの祖母が亡くなったなんて。寂しいなぁ。

*1:瞬間的に最高速度、時速151キロを記録。こんなスピードを出す車に乗ったのは産まれて初めてだ。