5日目の日記

デリーからクアラルンプールまでが一瞬だった。殆ど記憶がない。居眠りしながら機内食を食べたのはおぼろげながら覚えているのだけれど。飛行機で熟睡できると楽だなぁ。かつて飛行機では一睡もできない時代があったのが嘘のようだ。いつのまにこんなに逞しくなってしまったんでしょ。学生時代の知り合いとずいぶん久しぶりに再会したら「もっと昔は繊細だったよね?」と言われた事が。一体なんの確認だ、それは。
到着してすぐは眠さの余りにだる過ぎて何も食べる気がしなかったが、1時間程あてどもなく免税店をフラフラしていたら急激に空腹になって、何を思ったかバーガー・キングに入店。くそー、胃が痛い。油が胃にあわなかったらしい。
インドにはよくトイレになんだかよく分からないがトイレの係の人がいて、相手が外国人と見ると紙をくれたりするのだが(インドには普通、トイレに紙がないので)、用を足し終わった後にこの人達にチップを渡す事になっているのである。紙の無いトイレで紙をもらえるのは大いに助かるのだが、紙があるトイレでは大分彼らの立場が意味不明である。昨日のお昼に入ったレストランで私がトイレに行くと入り口付近におじいさんとおじさんの中間くらいの人がいて、トイレに入ろうとする私をはっしとかっこよく制し、目で「中に人が入ってますので」と訴えた。で、中の人が出てくるとやはり目で「どうぞ入ってください」と言うのである。このおじさん、トイレの交通整理の人であったか。
たったこれだけでチップを渡すのは意味が分からんというか、彼がそこにいる必要は特にないんじゃないかと思ったのだが、私がトイレから出て手を洗いおわると、脇に設置してあったペーパータオルをすかさず取って手渡してくれるのである。このおじさん、ペーパータオルを取ってくれる係でもあったのか。ペーパータオルくらいなら自分でも取れる気がするし、どちらかというと自分で取りたい気がする。インド人に体格で負けている点は脚の長さくらい(彼らはめちゃくちゃ脚が長い)で、背は大して変わらんのだからリーチも変わらないので、やっぱり取ってもらう理由はないのだけれど、とりあえず取ってもらって多少は助かったのだから、規程通りの額のチップを手渡した。
イタリアにもたまにトイレの係の人がいて、彼らはインドのトイレ係と違って入り口で番をしているだけでチップをとっていくのだけれど、なんでこういう職業が存在するのかね。面白いね。この程度の仕事量でチップを発生させるのは日本人の感覚ではありえないと思うのだが、インドでは特にそうは思われないということだろう。場所が変われば価値観も常識も変わって当然だけれど、こういった些細な部分での違いに直面すると、なんだかしみじみと面白いなぁ、と思ってしまうのである。世の中なんでもありだね。大げさだが、視野が広がるというか、何かに対して「こうあるべき」と思う事が完全に思いこみでしかないことに気付かされるね。こういうのが好きだから外国が好きなのかなぁ。日本で多くの人が歩むコースから大分はずれて生きてるから、日本と全然違うルールで動いている世界を見ると気分が楽になるのだろう。トイレ係がO.K.なら無職と無一文の繰り返しの人生もO.K.だろう、とりあえずさほどひと様に迷惑かけてないし、って。別世界をみてみたいという欲求を満たすには、インドはすごくいいかもしれない。今回たった3日の滞在だったけど、充分面白かったもんね。ガンジス河には本当に死体が流れてくるらしいし、ムンバイの通勤電車は混み過ぎて人が死ぬらしいし。死ぬくらいなら、仕事やめたほうがいいなぁ。働いてる意味ないだろう。死んじゃうなら。インド、また行ってみたいものである。勿論、次はツアーじゃなく勝手気ままに一人旅で。