面白さを切望する

今朝、目が覚めたら8時50分だった。こんな時間に起きても仕事に遅刻しない住環境と始業時間に感謝。しかし化粧をしている暇はさすがになく、ついに今の仕事場へも素顔で出社。100%ノーメイク、或は0%メイクである。もっとも普段でも、もう殆ど使い果たしたマスカラをしつこく塗りたくっているに過ぎないが。
私のまつげは長い。かなり長い。一番長い部分で1cm以上ある。日々、殿方にモテる法の研究に余念がない、職場の若い女子に「どこのマスカラ使ってるんですか?」と何度となく問われ、その度に「ランコム」と答えはするものの、使い果たしたものをしつこく使い続けているに過ぎないので私のまつげがボリュームがあるように見えたとしたらそれはマスカラのおかげなどではなく、単にもともと長いだけの話である。どれくらいしつこく使い続けているかというと、化粧の事などまるで分からぬうちのやつに「新しいの買ってあげようか?」と哀れまれるくらいである。あと「新しい靴下買ってあげようか?」とも言われた。穴のあいた靴下を履いてたから。ひょっとして私は、みじめな人生を送っているのだろうか。今まで全然気が付かなかったが、穴の空いた靴下はいかにもみじめである。
ところでつい先だって、うちのやつに「異性からの褒め言葉は、どんなことを言われると嬉しいか」と尋ねてみたら、「まあ、一緒にいると安心する、とか?」とまじめに答えてくれたのであるけれど、無論そんな言葉をかけてやろうと思って尋ねたわけではなく単に興味本位である。このあいだネットで見たのだが、最近の若い男の子は「面白い」と言われるのが嬉しいんですって! オレと一緒じゃねえかよ。ああ、私はいつからこんな人間になってしまったのだろうか。学生時代は「かっこいいと言われるのが嬉しい」とかなんとか言っていたきがするのだが、気が付けばかっこいい要素は皆無の人生である。面白いと言われたくて毎日大変だ。客観的に自分をながめると痛々しいくらいのときすらある。若い男子が嬉しいとする「面白い」にはかっこよさのニュアンスも含まれていてほしいのではないかと勝手に予想しているが、私の望む「面白い」はかっこよさなど入りこむ余地のないほどに純粋に面白さのみで構成されていてほしい。あ〜、なんでこんな人間になっちゃったんだろう。でもでも、もっと面白くなりたい。自分が面白ければ他の何物にも依らずして毎日面白さを味わえるからな。あ、あと、ちょっと引いてそうな雰囲気で「…すごいね」とか言われるのも割と好きだ。明らかに錯覚だが、相手を圧倒したような気になるからだろう。
人々の「言われると嬉しい褒め言葉」がなんなのか気になる。サンプルをもっと集めたいものだ。