人を勝手な呼び名で呼ぶ

金曜日から3日連続でヨガである。もうクタクタだ。密かに無職になったら平日日中だけのヨガスタジオ会員になって週5で通ってやろうと思っていたのだが、週5はいくらなんでもきつい。明日は夜、用事があるのでヨガには行かないが、明後日にはもうヨガである。つらい。もうやめたい。なんでこんなにヨガをやらなきゃならないんだろう。でも『インドのアシュラムでヨガ修行してみたい』とか思たりもしているのだが。自分がなにを望んでいるのかがわからない。週3でバレエレッスンに通うgraceさんは、人に『なにになりたいの?』と言われたとか言われないとからしいが、私も自分が分からない。どうも、やる必要は皆無で、誰にもやってほしいと望まれたりしない辛い事をやり『辛いのに頑張っている自分がスキ』と自己陶酔する傾向があるらしい。だからモスクワの空港のベンチで一夜を明かさなければ行けなかった時は『寒いし辛いし、なんでこんなことをしなくちゃいけないのだろう』と思えば思うほど嬉しかった記憶が。自虐的な快楽か。そういや腹痛がおさまる瞬間の開放感にも似た喜び、あれも好きだなぁ。相対的に幸福度が上がる、ということで。
随分前にNHKのニュースで、逃げ出したインコが保護された先で自宅住所と『戸田チロタン』という自分の名前を名乗ったおかげで飼い主の元に戻る事ができた、という話を聞き、その話が多いに気に入った私は以来、折りにふれてうちのやつのことを『戸田チロタン』と呼んでいたのだけれど、その都度『チロタンじゃねえ!』と吐き捨てられて哀しい思いをし続けてきた。最近では、うちのやつの名字を仮に『佐藤』とすると、オナラが臭かった時などに「臭いなぁ、このオナラクサ男」と呼んだり、出し抜けに近寄ってきてちょっかい出されたときに「うるさいなぁ、この佐藤ウザ男」と呼んだり、毛抜き作業が好きな私は頼まれてもいないのにうちのやつの眉毛近傍のむだ毛を抜いたりすることがあるのだが、やつのこのむだ毛が細いのに抜くと毛根が太くてしっかりしていて本当に立派で、毛を抜いていて本当に楽しいのだが、喜びのあまり『毛根フト男」と呼んだりしていて、「『戸田チロタン』と『佐藤ウザ男』と『オナラクサ男』と『毛根フト男』だったら、なんて呼ばれるのがいい?」と聞いたら「チロタンに決まってるだろう」というのである。
あんなに嫌がってた『戸田チロタン』を自ら望むようになった! 人間って、成長する生き物なのですね。そうか、チロタンがいいのか。もっと積極的に呼んであげなくては、と思う今日この頃である。