チャイナタウンで苦行

今日はヨガスタジオで無料の日本語ヨガのクラスがあった。さぞかし多くのニューヨーク在住の日本人が集まることであろうと思いきや、参加した日本人は私だけであった。そして残りの生徒は白人男性が2名。普段のクラスだって女性ばかりなのに一体何故。しかも2名のうちの一方はめちゃくちゃ日本語うまいでやんの。先生に「日本ではどこでヨガをしてたんですか?」と問われて「最初はビクラムだったんですけど、途中から小さいところでやってました」と。見た目白人、それもイギリス人にいそうな坊主頭(私の勝手な思い込みだけど)であったが、ひょっとしたら日本人だったのかもしれない。人を見掛けで判断してはいけない。その点ニューヨークの人はちゃんとしている。昔、学生の頃に藤原正彦が授業中「アメリカに行ったらみんな普通に英語で話し掛けてきますよ。誰も外国人扱いしてきませんよ」と話していたのを記憶しているが本当にその通りで、容赦なく英語で話し掛けてきて、全然見掛けで判断してくれない。こちらは英語に大分不自由しているというのに。いろんな人種がいる国だから見た目で判断できないのは当然なのだけれど、もうちょっとゆっくり喋ってくれてもいいじゃんねぇ。私にとっての外国滞在の醍醐味は、いうなれば「外国人になれる」ということ。つまり、そのコミュニティに属さない人間になれるので、誰もその社会における常識を私に求めてこないし、言うなれば社会の傍観者になれるのが非常に心地好い。その点ニューヨークはダメだな。全然ダメだ。
ヨガのあとチャイナタウン。最初はアメヨコにありそうな店が沢山あったのだが、いつのまにか気がついたら漢字の看板だれけで、そして辺りを見回したら中国人しかいないエリアへ。中国人のおばちゃんになにやら唐突に話し掛けられ、中国語ワカリマセン、と答えるとおばちゃんは「んあぁ」みたいな声を出して去っていった。
適当な店に入って餃子とチャーハンを食べたのだが、食べ始めこそそれなりに美味しく感じたものの、いかんせん量が2人前くらいあったので途中から苦痛に。「心頭滅却すれば火もまた涼し」とかなんとか心中唱えつつ食べていたという点を鑑みても苦痛の程度が知れるというものであろう。苦行か。食べ物を残すのが好きではないので気合いと根性で食べきったけれど、かなり苦しかった。チャーハンに使用されていた油の量は尋常ではなかった。日本の中華街の方がいいな。きっと日本人の口に合う料理を出してるんだろうね。そしてこちらのチャイナタウンはアメリカサイズなのだろう。量多過ぎ。