昨日の夜10時過ぎにチューリヒに到着。スイスの入国審査には唖然とさせられた。私の前に審査を受けていた人もたまたま日本人で、「どこから来たの?」「日本です」、すこし怪訝な顔をしつつ「でも今は日本から来たんじゃないでしょ?」、動揺しつつ「ア、アムステルダムです!」などというやり取りを目の当たりにしていたので、アラ面倒臭いのね、と思いきや、私の番はパスポートを受け取った瞬間、ろくに開きもせずチラ見し、半ば突き返すようにしてパスポートを返されて終了。入国審査がこんなに雑な国は初めてだ。
チューリヒには夜寝るだけの滞在で、朝6時半過ぎの電車に乗ってクールに出発。ベルニナ急行に乗る予定である。ベルニナ急行ではオープンループと言って線路が螺旋状になって高度を下げる箇所があり、それが非常に楽しみであったのであるけれど、実際に乗ってみて圧巻だったのはオープンループよりもなによりも氷河であった。古いのはカンブリア期のだってさ。全体通して景色が異様に美しいので大興奮。ベルニナ急行のハゲの車掌さんは恋人を一人で客として乗せていたらしく、仕事の合間合間*1に彼女の向いに座っていちゃついており、我々の席がたまたまその恋人の隣だったために、興奮状態の我々を見て親切にも次の絶景ポイントを丁寧に教えてくれたので僥倖。日本語で「すごいすごい」と叫び興奮する私を見た車掌の恋人は、いかにもほほえましいという雰囲気で笑顔でおり、どうも私は20代前半くらいに思われたくさいのだが実際は今年で32歳である。
ベルニナ急行の終着地はティラノといってイタリアで、下車すると一応パスポートにスタンプを押されるのであるけれど、これがこの旅初の入国スタンプである。チューリヒではチラ見オンリーだったので無論スタンプなどはなかった。本当に大丈夫なのであろうか。ともあれイタリアでスタンプ押されたのでちょっと嬉しい。というのもこのままでは成田で出国はしたものの、どこにも入国しないまま日本に帰る羽目になるとも限らなかったからである。なんかやだよな、記録の上では日本をでただけでどこにも行かなかったことになってたら。
約5年ぶりのイタリアということでティラノでは積極的にイタリア語を使用しようと思ったのだが、レストランに入ると私はイタリア語なのにウェイターは英語で受け答え、声をかけて来た隣のテーブルの夫婦はアメリカ人だから今度は英語で応対、と頭がおかしくなりそう。おい、なんか私、トライリンガルみたいではないか。ブログの上での事だ、皆誤解すればいい。実際は大分御粗末で、そのアメリカ人夫婦にもせっかく声をかけてくれたのに答えるので精一杯で話を膨らませることができず居たたまれない気分になり、心中「どうかもう声をかけないでください」と念じ目線をあわせないようにしたり。なんか最低だな。喋れなくても一生懸命コミュニケーションをとろうとすればいいのにこんな逃げ腰で感じがとても悪い。
今回の旅行は移動が多いためバックパックで来たのであるが、バックパックを持っていなかったうちのやつはこの旅行の溜めに新たに購入。それがよりにもよって私の物の色違いで、ヤじゃん、新婚旅行でペアルックって感じでキモいじゃん、などと言っていたら60歳前後の白人夫婦が揃いのリュックで歩いているのを発見。この人たちも新婚旅行じゃん、などと軽口を叩いたのだが、まさか後になってこの人たちにレストランで再会し、声をかけられるとは思わなかった。
時間が余ったのでサン・モリッツに移動。サン・モリッツというと2004年、アテネ・オリンピック間近の時期に「いいとも」の何かのコーナーで「次の冬季オリンピックはどこ?」という問題が出た際にタモリがヤケクソに「サン・モリッツ」と答えて「どこだよソレ」と思って以来、気になっていた地名で、今回スイスに来ることになって『地名が気になる』というだけの理由で行きたいと思っていたのだけれど時間的に無理ということで断念していたので、思いがけずに来られて嬉しい。あー、一文が長すぎる。息切れしそう。サン・モリッツは不思議な街であった。リゾートなのでホテルだらけなのは兎も角、小規模の街に似つかわしくもなくブランドの店だらけ。飲食店とホテル以外はブランドの店しかないんじゃないか、というのは些か言い過ぎだが、本当にすごい。リゾートはリゾートでも金持ちのリゾートなのであろう。あんまり私には関係のない街であった。
本日の宿はクールなので、現在クールに戻るべく電車に乗っているのだが、途中停車駅が押しボタン制になって驚いた。バスかよ。あー、それにしても眠い。強烈に眠い。早くクールに着かないものか。

*1:より正確に記述すると彼女とのいちゃつきの合間に仕事をしていた