なんだかんだとよい一日

夜行列車も二度目となると慣れたもんで、夜9時から朝5時半まで爆睡である。いや、実は最初のときもしっかり寝たのであるが、途中何度か目がさめたりしたから。今回は一度も目がさめなかったなぁ。かなり快適。夜行列車恐るるに足らず。
一都市滞在型の旅行ばかりしてきた私であるが、先だってのスイスに次いで今回も精力的に移動しており、元々精力ないのに精力的であるというのは本当に疲れる。バンコクに着いたのが7時半くらいで、荷物を駅であずけて今度はアユタヤへ。本当はホテルでダラダラしたいのだが、この時間だとまだチェックインできないからなぁ。とはいえ疲れてんのに反動的に再び電車で移動することを選択するあたりが、我ながら極端な性格で意味が分からない。辛いよう。休みたいよう。
電車の時間まで駅でコーヒー飲んで時間を潰していたときである。8時になったら駅構内に大音量で歌が流れ始めて、そしたら人々がみんな立ち上がったのである。あれなんだったんだろ。国歌か何かか? 日本だと決められたシチュエーションで決められた行動をとる、というのがないので、ちょっと吃驚するな。しかし同じ状況下でも周囲の白人は何もなかったかのように座っており、落ち着きをなくしてキョロキョロしてるのは私だけであった。どうせ小物ですよ。すぐ動揺しますよ。
アユタヤへは3等で行き、4人掛のボックス席に一人で座ってたら、同じように一人で座ってる外国人は多々いたのに、私んところを狙ってタイ人親子がやってきて席についた。タイ人だと思われたっぽい。彼女ら席につくなり私と言葉が通じないのに気づいて若干意外そうな顔してたからな。タイの人の中には日焼けした日本人みたいな顔立ちの人もたまに見かけることがある。それから欧州旅行だと、日本人と韓国人の見分けは容易であるけれど、東南アジアにいるとなぜか若干難しくなる気がする。昨日は韓国人の男の子に韓国語で話しかけられたけど、私も一度韓国人を日本人と間違った。欧州だと東アジアの顔をしてるだけで外国人であることがユニークになるから、現地の人と比較することなく相手を観察でき、そうするとよく似た中での違いに気づくこともできるだろうが、東南アジアにいると、現地の人もたまに東アジア人みたいな顔をしてるから、東アジア系の顔を見かけると、まず現地の人か旅行者か観察するので、相手が旅行者だと分かるとそれ以上観察するのが面倒臭くなってしまうのだろうか。あ、なんかなに書いてんだか分からなくなってきた。ちがう、分か
った。欧州だと日本人も韓国人も小綺麗な格好して、それぞれの国の流行を多少反映させたような服を着ているが、東南アジアでバックパッカーなんかしてるとみんな小汚い格好になるから(現地の人も着ないような変な服着たりして)、違いがほとんどなくなるんだわ。やはり日本人と韓国人は本質的にだいたい同じような顔してるんだな。
こうやって色んな国を旅していると、価値観やらライフスタイルやら、本当に多様性があると実感し、豊かさをはかる基準というのは一つじゃないなぁと思う。だからタイからカンボジアの国境を越える際に、乗り継ぎのバスが来るのが遅いと怒り、最終的にはポル・ポト派のことまで持ち出して、だからおまえらの国はダメなんだ、とカンボジア人ガイドにしつこく因縁つけてたオランダ人*1には、自分の国に戻って温暖化対策でもしてろ、と言いたい。自分の国と同じように物事が進まないと苛々するタイプは、自分の国に収まってた方がいいね。
さて、上の内容はアユタヤに向かう車中、暇つぶしに書いたもので、現在はバンコクに帰るところであるのだが、アユタヤではラッキーとピンチが半々だった。今日はもうトゥクトゥクのオヤジとのやりとりが面倒だったのでずっと徒歩。ブッダの頭に樹の根っこが絡まってる有名なアレを見て、次に涅槃仏に向かう間、暑さに耐えかね食堂で小休止すると、そこはどうやら観光客があまり来ない食堂だったらしく、英語メニューはあっても注文の内容が伝わらない。豚肉入りチャーハンを頼んだのだが、何度も「ガオ、ガオ」と言われ、確かガオは鶏肉だから、もうなんでもいいや!と投げやりになり、店の兄ちゃんとお互い何度も頷きあって、注文完了。そしたら野菜と卵のチャーハンがやってきた。本当のことを言うと私は野菜と卵のが食べたかったのだが、なんとなく注文が困難であると予想されたので、妥協に妥協を重ねて鶏チャーハンに落ち着いたのだが、なぜか心中を見透かされた。と思ったら鶏肉も入ってた。と思ったら豚肉も入ってた! やっぱツイてんな、オレ。ていうか多分店の人もよく分かんなかったから全部入れてみたんだろう。店のオーナーらしきおっちゃんがすごく親
切で、わざわざ個包装されたお絞りを、皿に乗せて氷を添えて持ってきてくれて大感激。この店の人はみんな良い人だ。安いし美味しかったし湖ぎわで水連綺麗だったし。暑いけど頑張って歩いて良かったなぁ。
休んで元気が出たので涅槃仏へ、と思ったのだが、道がよく分からなくなったのと、帰りの時間まで残り少なくなってきたのでトゥクトゥクのじいちゃんと交渉。大分近くまで来てるのは分かっていたのにふっかけやがって50などというので、バイバイと手を振って立ち去ると後ろから70!と叫ばれ何故か値上がり。無視して歩いたら「じゃあいくらならいいんだ」と言うから、10と答えると、ハッハッハッ、君にはかなわんよ、とでも言ってるかのような笑い声をたてられた。結局このじいちゃんには駅近くのボート乗り場まで連れて行ってもらったのだが、最初に全部で50でいいと言ってたのに支払いで100バーツ札を出したら「150バーツ」とか言ってきた。おいおい、最初に50で話ついてたでしょ、と言いつつじいちゃんの小銭置き場から勝手に40バーツとり、手に10バーツ持ってるの知ってるんだから、それも出してよ、と言うとまたしても『ハッハッハッ、君にはかなわんよ』笑いをされた。じいちゃんあんま英語分からないのに、このときだけは私の言ってること100%通じてんの、面白いね。トゥクトゥクオヤジとのやり
とりは普通、とても疲れるのだけど、このじいちゃんとはちょっと楽しかった。
駅に着き、切符を買ったりなんかする過程で一人の駅員さんと話し、切符売場に案内してもらったり、電車が来るとホームを教えてもらったりと、何かと親切にしてもらったのだが、途中出し抜けに自分のおやつだというドリアンを分けてくれた。蘇る腹下しの悪夢。しかしこんなに親切にしてくれて本当に嬉しいのに、綺麗かどうか分からんから…いらない!などということを、どの口が言えよう。駅員のおじさんの親切をむげにするくらいなら、いっそのこと腹を下した方がマシだ。ええい、ままよ!と食べました。それに何となく大丈夫な予感がしたし。ただの直感だけど。美味しかったですよ、ドリアン。食べたの初めてだし。親切にしてもらってとても嬉しかったので、携帯で写真(カメラは昨日壊れちゃったからさ、ホラ)を撮らせてくれと頼むと、ちゃんといい場所でポーズをとってくれた。ドリアンはピンチだったけどさ、というか本当にピンチかどうかはあと数時間経たないと分からんけどさ、でも楽しいな。こういう交流があると、一人旅でよかったな、と思う。
バンコクに着き、読む本がなくなったので例の高級デパートに再び問題ある格好のまま移動。首尾よく本を手にいれ、駅に戻って預けていた荷物を受け取り、バス停へ。このバス停にたどり着くまでもいろんな人に助けてもらい、バスの中でも私の荷物が大きいのを見て席を譲ってくれる人がいたり、バスの車掌さんが行く先を聞くのでカオサンと答えると、降りる場所教えてあげるから、と言われたり、本当にタイの皆さんには親切にしてもらった。英語が通じるかというと大分通じないが、気持ちはよく通じる。いい国だね。
カオサンに着いたら、若槻千夏発見。どうでもよい話だが。宿にチェックインし、スーパーでビールを買い込んできて一杯やってるところでアリマス。汗をたくさんかくとビールが旨いね! どうやらドリアンピンチも大丈夫だったみたいだし、いい一日だった。明日もいい一日だとよいな。

*1:本当にしつこくて、同行の他のオランダ人もあきれていた。シブい白人のおやじがいい加減にしろ、と諫めたらますます手がつけられないことに。日本人たちは皆、ほんとに小さい男だな、とウンザリしていた。