もっとお金に執着すべきか

「婚活」という言葉を最近知った。結婚活動のことなんだって。数日前にテレビで、婚活にいそしむ30代後半の女性を紹介していて、その女性の結婚相手に求める条件はまず「年収800万円以上」だそうだ。一番最初にお金の話が出てくるってのは、なんだかすごいな、などと思っていたら、ふと気がついた。人の金に対する執着心を嗤う前に、自身の金に対する執着心のなさに対して反省すべきじゃないか?
私はお金を使うのが得意だ。持ってる額をぴったり使いきるのが得意で、収入が少なかろうが多かろうが、あんまり不都合を感じたことはない。貯蓄という概念を持たずに生まれてきたのか、小金を持つとどうでもいいものに散財するだけでなく、やたらと気前がよくなって、すぐに人に奢ろうとするのである。たいして稼ぐ能力もないクセに…! この場合の「稼ぐ能力」であるが、スキル云々以前の話で、就労意欲の問題である。お金を得るために自由時間を削るよりは、生活できるギリギリで構わんからだらだらと勝手気ままに生きていたい。
そんな自分の生きざまに疑念を持った、というか、もうちょっとお金に執着した方がよいのではないか、この婚活の人を見習うべきなんではないか、私もお医者さんと出会うべく努力すべきなんではないか、などなど。ちなみに上記の女性の結婚の条件は年収について「職業が医師」である。しかしよく考えるともう結婚しちゃってるのでそんな努力をしても無意味であった。
と、ここまで書いて気づいたのだけれど、物事からなにかを学ぼうとする姿勢というのは大事だけれど、学ぶポイント間違ってんじゃないかね?私。何年か前にはよゐこの濱口が抜き打ちテストで信じられない珍回答*1をしているのを見て、はじめはゲラゲラ笑いながら見ていたものの、次第に濱口のことを尊敬し始めている自分に気づいて仰天したことがある。「私などという人間は、この濱口と比べたら非常に器のちっちゃな人間で、人前で間違ったら恥ずかしい、とか、所詮そんなレベルの人間である。この「間違ったら恥ずかしい」という考えから完璧に自由な濱口は偉大だ」、そんな感じ。固定観念から脱却するごとに、人間はより自由になる。…やはり私の学ぶポイントは間違っていない。濱口は偉大だ。よって、婚活の人の金に対する執着心も見習うべきである。ということで来年の目標は『お金に対してもっとガツガツした人間になる』にします。今年は、残りもうあと1か月だからいいや、どうでも。

*1:忘れられないのは英語の答案用紙に記入する自分の苗字を「Hamaguche」と書いていたことと、日本史の試験で江戸時代の測量の絵に対して、何をしているのか答えるという問題で「鉄砲の伝来を待つ」と答えていたこと。「鉄砲の伝来を待つ」は天才だと思う。