やってみたかったこと

やってみたかったことがあったのを思い出した。何の脈絡もなく「あ〜、そういやアレやりたかった」などと思い起こすなんて、まるでやり残したことを探しているかのようで、近々死にそうで怖い。やりたかったこととは、

  • お見合い
  • 合コン

お見合いは…、さすがにもうチャンスはないだろう。離婚しない限り。いくら私が通常の結婚の概念に囚われない、勝手ライフを送っているとはいえ、お見合いは一人でやれるものではないからねぇ。相手が嫌がるだろうし、見合いをセッティングするやり手ババアみたいな人も嫌がるだろう。そんな知り合いいないけどさ。
そういや急に思い出したけど、20後半にさしかかった頃に一度お見合いの話が来たなぁ。なんでお見合いをやってみたかったかというと、別に結婚に焦っていたわけでは全くなく、「あとは若い人たちだけで」的状況を経験してみたい、その状況に耐えられるか自分の限界を知りたいという欲求からであったが、実際に話が持ち込まれるとそんな軽薄な理由で見合いなんてして、あとで面倒なことになったらヤダと腰が引けたのであった。その時の相手というのは、都内の有名国立大学を出て一流企業に就職し、結婚相手には専業主婦ではなく働く妻が望ましい、自分の食い扶持は自分で稼げ、という人であった。見合いの話を持ち込んだ人の言によると。
その時私は、「都内の有名国立大学卒ってエバられたところで、私だとても有名国立大学卒である。一流企業で働いているってのも、学生時代の友人知人の大半は一流企業に就職したから珍しくとも有難くともなんともない。私のように外資系企業に就職しつつも最初のボーナスもらうと同時に辞めちゃって、転職と海外出奔を繰り返す不安定人生の方がレアケースなんだから、寧ろ私のことを有難がれ」と思い、かつ「見合い相手に求める条件が多すぎる」と思ったのだが、なんか間違ってるな、私。『私を有難がれ、珍獣のように』はともかくとして、この人の女性に対する要望は、専業主婦志望の女性の男性に求める要望よりもささやかじゃないかね? だって自分の食い扶持稼ぐだけでいいんだぜ。専業主婦の場合は、自分の食い扶持と私の食い扶持を稼いでくれ、っちゅうことだよね。男性は可哀そうだなぁ。専業主婦の要望は当然のように受け入れられているのにさ、男性が女性に「自分の食い扶持は自分で稼げ」と言うと、なんだかとてもひどい人のようにみられたりするんだよ。不公平だ。
そもそもこの話を私に持ってきた人は、この男性が自己評価が高すぎるので、私に見合いしてもらって「アンタの釣書なんて珍しくとも何ともないんだからね!」という趣旨のことが伝わるようにし、自分を見つめ直させようという魂胆だったそうなのだが、今思うと余計なお世話だなぁ。この男性は正直に自分の願望を言っているのであって、そういう男性がいい、という女性もいるかもしれないのだから、他人が「そういう考えは改めないと結婚できない」などと指導しようとするのは、ウルサイね。お見合いの際に男性が「外で働くより家事の方が好きなので主夫になりたいです」と言えるようになったらよいなぁ。
ちなみに合コンに関しては、身近な男性がうちのやつしかいないので「ちょっと合コンセッティングしてよ」と頼んだら「バカじゃねぇの!」と一蹴された。そしてやつにはそういう人脈はあまりないし、そもそも私が予想しているような合コンとは若い子のやる合コンだから、大人の合コンをやっても面白くないはずだ、と言われた。この年で若い子の合コンに紛れ込むことができたとしたら、それは普通の合コンに紛れ込むよりもずっと辛いことである。辛さに負けず頑張ってるワタシがスキ!という趣向の持ち主なので、辛い旅などをしていると気分が高揚してくるのであるが、これにはたぶん耐えられそうもない。若い子の合コンを隣のテーブルから観察する方がいい、とちるさんも言っていたが、まさしくその通り。どなたか若い方で合コンを催される際にはご一報ください。観察しにいきますので。