帰国しました

こいつが元凶か

えー、無事帰国しました。親子丼の店は、日記を読んだうちのやつからSMSが来て、池袋でピックアップしてくれたものの、尾籠な話で恐縮ですがPPに罹患したのでパスです。原因は恐らく、タシケントで食べたケーキ。なぜケーキで、と思うのだけど、昨日食べたものってホテルの朝食と、電車の中の物売りから買った焼きたてのサムサと、あとタシケントのケーキだけで、PPのスタートから考えるとケーキ以外あり得ないのである。薬でも盛られてたとか?
昨日はあれから無事にバスに乗り、タクシー使った場合の10分の1以下の400スム(約24円)で空港に到着。そこでまた例の日本人家族と再会した。私は日程的に厳しいので見送ったヒヴァにも行ったんだって。すごいね。ヒヴァめちゃくちゃ遠いのに。タシケントのウさんとロさんによると、陸路だと27時間かかるのに。ブハラからは車で8時間かけて行き、帰りは飛行機を使ったんだそうだ。
で、つつがなくチェックインし、乗り継ぎもすませ、成田に到着、といけばよかったのだが、そうは行かなかった。まず、ソウル〜成田間のフライトのチェックインができず。システムがソウルと繋がってないんだとさ。乗り継ぎ便にチェックインできなかったことって、いままで経験した事ないぞ。それから、セキュリティチェックを受けてゲートに進むのが普通であるが、そのセキュリティチェックのポイントに係官がおらず(というか正確にはいるんだけれど、なぜかチェック待ちの我々旅行者の姿を認識できないらしい)、だからゲートに進めなかった。同じ便に乗る台湾人の女性に「なんで誰もいないの?」と聞かれ「働きたくないんじゃない」と答えて二人でハッハッハと笑ったあと、ふと思い出すことがあった。似ている。この係官のやる気のなさ。モスクワの空港に似ている。こういうところに旧ソ連らしさがでるのか?
大分待たされた挙げ句、ようやく係官がやる気を出してくれてチェックを受けられたのだが、トップを切って荷物検査を終えた私を待ち追えていたのは金髪ロシア美女。「こっち来て」と促された先にはなぜか小部屋が。え、なに? 私の荷物に何か不審物でも見つかった? だとしたらそれは誰かが仕組んだ事で、私には何の責任もありません、って英語でどういうんだろう、というか言えたところでそんな説明を受け入れてくれるのだろうか。問答無用で非人道的取り扱い受けたりして? しかし何故私だけこんな目に、とグルグル頭の中をいろんな言葉が渦巻いていたのだが、実際に聞かれたのは「所持金全部出して」ということであった。
リスク管理のために所持金は3カ所に分散させていたため「出せ」と言われたからってすぐに対応できるわけじゃない。とりあえず一番出しやすい財布の中身を出してみせ、慌てながらバックパックにかけたロックを外しつつ、かくしてあったお金をだそうとしていると、冷たく美女が「所持金はこれで全部なのかい? 嘘つくんじゃないよ! このメス豚め!!」とでも言いそうな雰囲気でこちらをねめつけてきた。実際冷たくもったいぶった口調で「所持金はこれで全部なのかい?」とは言われた。こわいよー。いままでいろんな国に行ったけど、こんな扱い受けたの初めてだよー。
所持金を全て出し終えると、まるでやくざの女がカジノの元締めをしているかのような雰囲気でお金を数えはじめ、私は「最初に申告した額から全然減ってないじゃないか!*1 なんかおかしなことして金を稼いだんじゃないね?」とか詰問されるんじゃないかとドギマギしていたのであるけれど、実際はお咎めなしで無事開放された。そしたら今度は私の次にセキュリティチェックを受けた台湾人の女性がその小部屋に連れて行かれて同じ検査を。結局、搭乗客全員が所持金検査を受けた。台湾人の女性なんか所持金検査のあとに別の係官に「どこのホテルに宿泊したのか正確に言え」と言われ、彼女は12日間も滞在し各地を転々としていたため、急にそんなことを言われてめちゃくちゃ焦ったそうだ。
事なきを得て台湾人の女性と「怖かったねー」と話しつつゲート付近に進み、カフェがあったのでお茶を飲もうと、残っているウズベクスムを使おうとしたら「USダラー・オンリー」と言われた。なにそれ、ひどくない? じゃなに、現地の人が空港使う時もドルしか受け付けないわけ? 彼らはヨーロッパに行くかもしれなくて、ドルは使わないかもしれないのに、空港に備えてドル持ってこなくちゃいけないわけ?? なんか、これまで出会った気のいいウズベキスタンの人々の顔を思い浮かべると、とても同じ国にいるとはおもえないぞ。
そう、旅を終えて改めて思い起こせば、ここは本当にいい国だった。こんなに旅行のしやすい、気持ちのいい国はそうそうない。なんでこの国の人はこんなにいい人たちばかりなのだろう。そんな話を台湾人の女性にすると、彼女も激しく同意し、そして「親切すぎて意味が分からない」と言っていた。聞けば私の行かなかったヒヴァにて、現地の少女に唐突に夕食に招待されたのだそうだ。なんで?と聞くと、観光客が好きだから、喜んでほしくて出会った観光客はみんな招待しているのだと答えたそうだ。翌日も続けて招待されて、連続して夕食をごちそうになったんだって。大丈夫かねぇ、その子。観光客の中には悪い奴もいるはずなのに。あとは、たまたま結婚式をやっているところを通りかかったら大喜びされて、そのままお式あとの宴会に招待され、ごちそうを食べさせられ民族舞踊をみせられ、最終的にはその民族舞踊をいっしょに踊らされたそうだ。なんだその経験。すごい面白そう。ズルい。私も招待されたかった。
この台湾人の女性とは、初対面にも関わらず随分と気があって、出発まで2時間以上あったのだが、ずーっと楽しくおしゃべりした。長時間の会話だったので話題は当然ウズベキスタンを離れ、いつのまにやら第二次大戦中の日本軍の悪行について(よく知らないのに)語る羽目になり辛かった。その後飛行機に乗り込み、機内食を食べた後はずっと寝て、定刻より早くソウルに着いたから余裕を持って成田行きのフライトにチェックインできるかと思いきや、ゲートが全部埋まってるため降りられない、と言われた。結局飛行機から降りたのは成田行きの便のフライト時間の30分前。走ってチェックインカウンターに向かってなんとかボーディング・パスを発見してもらい、無事帰国できたわけだが、飛行機の乗り継ぎでこんな危ない橋を渡ったのは初めてだ。(完全に乗り継ぎ便に間に合わず、空港でベンチに1泊を余儀なくされた事もあるけれど。)
面白い事はいろいろあったのだけれど、日記に精彩を欠くのはひとえにPPのせいでしょうね。体力を消耗するなあ、PPは。胃痛は日本に帰ってきたら若干和らぎました。なんでこんなに眠いんだろう。今、日本時間の夜8時台だからウズベキスタンではまだ4時台なのに。本調子じゃないので休みます。あー、今は体力的につらいが、旅行はやはり楽しいね。次はどこに行こうかなー。

*1:滞在費だけでいうと60ドルしか使わなかったのである。物価安いね。初日に早朝の送迎でボラれてなければあと10ドル出費が抑えられた筈である。