墓見ランチ

昼休みに弁当を食べるのにうってつけの場所を発見した。職場の近くの寺がお堂まわりのスペースを解放していて、テーブルとパイプ椅子を提供しているのだ。椅子に腰掛けてあたりを見まわすと目前には墓場と東京タワー。ある意味絶景。よーし、ここで働く2ヵ月は毎日この寺で昼休みを過ごしてやろう、読書できるし落ち着くし、一人になるのに最適だ! と喜んでいたら、今日早速職場の人にこの寺のことがバレた。昼に外出てくときに一緒になって、ついてこられちゃったんだよ〜。その人もこの寺がいたく気に入った様子。あぁ、昼休み墓地目前孤独満喫計画が…。その人も孤独好きならよいのだが、かなり人当たりがよく、すぐ誰とでも打ち解けそうなタイプのようなので、あんまり放っておいてもらえなさそうな予感である。そしてその人は人と打ち解けやすいタイプかもしらんが私は打ち解けにくいタイプなので、よって打ち解けたフリをするはめになるのだ…。
寺そのものの話に戻る。よくこんな都会のど真ん中に墓地が残ってるなぁ、バブルのときは無事だったのか?と気になったが、やはりバブル期といえども墓を潰してビルを建てるのは誰も気が進まなかったのであろう。子どもの頃、小学校で『この学校、お墓の上に建てられんだって〜コワ〜イ』みたいな噂がよく流れたが、本当とはとても思えない話だ。しかしそこがかつてお墓でなかろうと、今までに死んだ人間の数を考えるとそこで誰かしらが死んでいても何の不思議もないのだが。子どもの頃にその噂を聞いたときも同じことを考えたのだが、じゃあ自分がいま住んでいるこの家のある場所でも誰か死んでるのかもしれない、深く掘り返したら骨が出てくるかもしれない、と存在するとも知れない『ウチで死んだ人』について思いを巡らし、不思議な気分になったことがあった。だからどうって話でもないが。
ということで、お墓潰してビル建てたとしても、どうせ他の場所でも人が多分死んでるので同じことです。まぁ、お墓潰した上に住むのは、私はイヤですけどね。なんとなく。
寺の話に戻るつもりが墓の話になってしまった。この寺は、いいです。日によってはお茶と菓子が供されるらしいです。住職は東大出の二十代だそうで。坊主に興味津々のちるさんにはおすすめの寺であるが、残念ながら解放してるのは平日だけなんだな。無職になったら行ってみてくらさい。