自身のなかの県民性を認識する

シロノワール

1日最低2時間の散歩が必要なので、片道1時間かけてコメダ珈琲に来た。東京でシロノワールが食べられる幸せ。
しかし名古屋のコメダとなにかが違う。店舗が新しすぎるのもあるだろうが、なんだろねぇ、この違い。やはり「名古屋に立地している」ということが重要なのか。歩いて1時間かかるのは大変といえば大変だが、18きっぷでローカル線、日帰りのスケジュールで短い滞在時間をやりくりし、ようやくコメダにたどり着くのに比べるとお手軽過ぎる。
コメダとは、そんなに簡単にたどり着いていいものなのか…?
無論いいに決まっているが、こう、もうちょっとイベント性が欲しいというか。18きっぷの季節になったら日帰り名古屋を敢行するべきか。子どもが産まれたらそれこそなかなかこんなバカな時間の使い方はできなくなるだろうし。
ところで子どもの頃、我が家には日曜の朝は喫茶店に行くという習慣があったのだが、これはやはり父親が愛知県出身であることに関係があるのだろうか。愛知に住んでいた祖母も、喫茶店でのモーニングが好きだった印象がある。親が地方出身だと、自分では世の中のスタンダードだと思っていたことが意外にも非常にローカルなことがあり吃驚する。というか吃驚した。つい最近。
うちのやつとなにげない会話をしている折りに私が「覚わる」と言ったら、「それどこの言葉?」と。物凄くギョッとしてすぐさま調べたら東海地方の方言だと分かった。この、生粋の東京人である私が方言…?(多摩地区の出身だけど)
他県出身者が東京に来て、スタンダードな言葉だと思っていたのに実は方言と判明して衝撃を受けることはままあるかと思うが、多摩地区の出身とはいえ私は東京産まれ、東京育ちですよ? なのにこの手の衝撃を受けるとは、夢にも思わなかった。そのときの私の驚愕がアナタに分かりますか? 分かりますまい。ちなみにいまこれを携帯のエディタで書いているのだが、「おぼわる」では漢字に変換できなかった。やっぱり方言なのか〜。
私が名古屋に対して親和性が高いのは、こういったバックグラウンドのせいかもしれない。本物の愛知県出身者である私の父は三河出身のせいか名古屋を意識しており、尾張の文化より三河の文化のほうが勝っているなどなど言いたがるわけだが、半端に愛知県の文化を継いでいる私としては三河尾張なんて、方言がちょっと違うことくらいしかわからないし、正直言って豊橋(父の郷里)よりも名古屋の方が断然楽しい。父は味噌煮込みなんて大して好きではないが、私は大好きだ。思えば味噌煮込みコメダと違って東京で食べても「なにかが違う」とは思わないなぁ。シロノワールでなくとも美味しいデザートはたくさんあるが、味噌煮込みには代わりがないからか。
とりあえずコメダ味噌煮込みは東京でも食べられるので、次回名古屋に行ったら台湾ラーメンに挑戦してみたいと思います。なんなんだろうな、台湾ラーメンって。想像もつかない。