驚いたこと、嬉しかったこと

「お腹が張る」とはよく聞くが、どんな状態だか皆目ワカラン、と思っていたのだけれど分かるようになった。ここ2日ばかり、朝起きるとお腹がかたくなっているのだ。あー、これが張ってるってことね、きっと、と状況をそう理解して昨日、今日と家で大人しくしている。しかしねぇ、こう暑いと、なにもする気が起きないね。毎日タイクツ、いや、精神が死んでるから「タイクツ」とか自覚する間もなく1日が終わる。こんなことで、いいのだろうか!?
土曜日にレトロ喫茶部で人形町に行き、その時にもちるさんに、なにか勉強しなくてはと思うあまり現実逃避してしまって結局なにもできない、毎日無為に生きていると話したところ、「もう勉強はいいから」と言われ、私としてはなんというかこう、許しを得た、みたいな感じ? で精神の解放感があり、じゃ今週は勝手気ままに外出しよう、とか思っていたのであるけれど、ここに来てお腹の張りである。あんまり動かない方がいいんだよな、確か。散歩もできない。このままじゃ胎児と関係ない部位の肥大化が懸念されるところである。
ところでこの週末は驚きの連続であった。まず1つ目。隠れキリシタンの末裔の方に出会った。歴史上の出来事になんらかの形で関わった人の子孫というのは当然世の中に沢山いるはずだろうが、ちゃんと系図をたどれる人っていうのはなかなかいないんじゃないかね。そしてその人もちゃんとクリスチャンだった。おー、さすが。
そして2つ目。私の友人の友人が、お子さんを小学校に入れず自宅教育を実践している、という話。そんなこと、可能なのだな。吃驚。意外にも行政側が協力的で、本来通う筈の小学校に在籍はしているという形になっていて、もし学校に通いたくなったらいつでも通えるんだとか。教育は国民の三大義務だったはずだが、放棄してもいいのか? あ、放棄はしてないのか。だって場所は自宅でも、ちゃんと教育するんだもんな。義務を放棄できるのなら、例えば納税とかも「納税や〜めた」とか言って放棄できるのだろうか、などと考えた私が浅薄でした。あー、奥田英朗の『サウスバウンド』思い出した。あれ、お父さんがいきなり日本国民やめた! と宣言するんだよな。
嬉しいこともあった。仕事で関わっているオンライン百科事典。アカウントがもらえたので家でも閲覧可能になった。わー、これでいつでも百科事典が読めるぞ、ワクワク。百科事典というのは、とてもステキな読み物ですね。無為に生きる日々、卒業か。