クチトンネルツアー

今日は朝から地下トンネルツアーである。もう10年前、はじめてベトナムに行きたいと思ったときからここには絶対に行きたいと思っていた。英語ガイドのツアーだと格安なのだが同行の母に配慮して日本語ガイドに。それでも往復の車とガイドで一人30ドル足らずなのだから十分安いだろう。クチに向かう道中、ガイドのホアンさんが我々に気遣い、退屈しないようにと通り過ぎるもの一つ一つ、それが何なのか教えてくれたのだが「左に見えるのが植木屋さんです」などと中には何でわざわざソレを教えてくれるのか意図が読めないものもあった。寺院の前を通ったときにたまたまそこで葬式をやっていたのだが、棺を担ぐ人々の衣装が光沢のある鮮やか過ぎて目が痛くなるほどの黄色であって、日本との習慣の差を感じた。棺桶屋さんの前も通過したのだが、これは指摘されなければ作られていた木造のものがなんだかわからなかっただろう。それくらい日本のものと違ったのだが、そもそも慣れない外国にいるということだけで躁状態の母親が大興奮してしまい「見てあれ!すごい!日本のと全然違う!!跳び箱みたいだった!!!」と叫んだときにはどうしようかと思った。お母さんやめてよ、跳び箱はいくらなんでもあんまりだよ。しかしホアンさんもこれには笑うしかないといった態で、母がひとえに無邪気であったがための発言であると理解してくれたため摩擦にはならずにすんだ。
鴨売りのおじさんと道端に整然と座り込んだ20〜30羽の鴨たち(なんであんなにおとなしく座わってられたんだ?)などを楽しみながら約1時間半、ようやっとクチについた。まずクチトンネルがどんなものであったのか紹介するための日本語ナレーションによるビデオを見せられたのだが、私はもう本当に感動した!農民たちが昼間はトンネルにもぐってパルチザンになり、夜は農民に戻って自給自足のための農作業をしていたのだ。米軍からせしめた優れた兵器をを使うことはかたくなに拒み、自分たちの方法を貫き通したのだ。トンネルにしても落とし穴にしても、何を見ても全てのものから彼らの意思の強さを感じた。あそこまで心を強く保てたのは、きっと米軍、フランスだけでなく、中国からの1000年に渡る支配の歴史も影響していたのではないだろうか。このトンネル自体は完全に観光客のために整備されているのだが、それにしても見る価値は十分すぎるほどある。素晴らしかった。
トンネル生活者のための食堂で当時の食事を楽しみましょう、とふかしたタロイモと蓮茶をいただいた。ホアンさんもタロイモどうぞ、と勧めたのだが、私は子どもの頃に沢山食べましたから、と笑顔で断られてしまった。きっと幼少期にさべさせられすぎて嫌いになってしまったに違いない。私の父も子どもの頃、戦後で食糧事情がよろしくなくやたらめったら鰯のつみれを食べさせられたために未だにつみれを好まないからね。このホアンさんだが76年生まれだとかで私と全く同じ年。たかだか28年の人生とはいえ、色んな人生があるものだ。私の生きてきた経路とホアンさんとでは全然違うんだろうな。平和ボケした私には「戦争」=「歴史」=「教科書」だったが、ホアンさんの場合は非常に身近なことだったのだろう。もっと話をしてみたかった。