パニー

今日は週に1度のチェコ語の日である。といってもまだ今日で2回目、他の生徒ともさして親しくなっているわけではなく、当然ながらお互いの個人情報も名前以外には明かされていない。それはチェコ人先生にとっても同じである。生徒を名指しする際に、英語でミスターなどに当たるものを名の前につけるのだが、女性の場合はミスかミセス、どちらで呼ぶかという問題が生じる。チェコ語の場合ミスに当たるのがスレツナ、ミセスに当たるのがパニーである。とりあえず全員スレツナ路線で無難にやり過ごそうとしたのか、全員スレツナスレツナである。
もう想像がつくだろう、私の番になったとたんに「パニー」と呼ばわったのだ。年はくっていても現実にはスレツナである私にとって、パニーと呼ばれることは非常に居心地が悪い。現実に即さない呼び方だからだろう。遠藤周作は、自身が幼児洗礼を受けていたことに対して、サイズの合わない服を着せられているような感じだと評していたと思うが、まさしくそんな感覚である。
パニーじゃありません。
なんどそう言いかけたことだろう。しかしその都度私の過剰なる自意識がそれを阻むのだ。別に既婚か未婚かなんてこの際さしたる問題ではないにも関わらず敢えてその点について訂正にすることによって、結婚という制度に対して過剰反応する微妙な年齢であるかのように思わせるのではないか、と。面倒臭いよなぁ、なんで既婚か未婚かを区別するんだよ。フランス語の場合、既婚か否かによらずある程度の年齢に達すればマドモワゼルではなくマダムと呼ぶのだ。それは相手を大人の女性として認めているというアピールにもなる。思うにチェコ語の場合もそのようなものではなかろうか。それを日本人がパニーとスレツナの定義を間違って伝えているのではなかろうか、というかそうであって欲しい。でも違うかも。男性のパンに対するパニーだから、この語には「パンの従属物」というニュアンスがあるの(あったの)かもしれない。まあよくわかんないんだけどさ、憶測するしかないから。しかし現在の私の中でのスレツナとパニーの定義のままでは居心地の悪さは変わらないのだ。
ところで、今日はいろいろ職業を表す単語を習った。教師とか学生とか、会社員とか公務員とか。先生が「ある程度職業名が出揃ったので皆さんご自分の職業をチェコ語で言ってみてください」と。英語で言うとbe動詞に当たるビートという単語を1人称単数に活用させた後で職業名をつなげるだけ、造作もない作業である。ちなみにチェコ語には冠詞は存在しない。ここで私は一つ疑問が生じた。
フリーターってなんていうんだ?
こういう教室は基本的に職業持ってる人か学生しか来ないのでフリーターなどという語はむろん紹介されなかった。ではこのような状況下で私が「私は学生ではありません」とか答えたらどうなるんだろう。そんな発言をしている自分を想像して、ついニヤニヤしてしまったが、あんまり自分が変人であるかのようにアピールするのは得策ではなさそうなので自粛した。一応嘘ではないし、無難な路線なので「先生です」と答えるにとどめておいた。しかしこの後我が耳を疑う発言が。
無職ってなんていうんですか?
なんとこの教室にはフリーターの上をいく、無職の人間がいたのだ。どうやってレッスン代捻出してるんだ??皆がそう思っているだろうことがひしひしと感じられたが、一様にその話題には接触しない方が無難であると判断を下したようである。日本人の得意技であるが何事も無かったかのように、滞りなくその日の授業を終えたのであった。