言動がおかしくなる

校了が近づいてきて仕事が佳境に。在宅というとのんびりマイペースで仕事やれる風だが、実際は大量にゲラが出て翌日戻しとなると、会社勤めと違って「終電」という言い訳もきかないので延々作業が続く。ねみー。
睡眠不足になるとてきめんに言動がおかしくなるな。4ヵ月の赤ちゃんに向かって「アンティグア・バーブーダアンティグア・バーブーダ」といま覚える必要の全くない国名を繰り返したり。しかもちょっと目がすわってんの。何年か前にうちのやつに向かって唐突に、前後の脈絡なく「オッス! オラ悟空!」と言うのを1日に20回ほど繰り返し、都度「悟空じゃないでしょ」と優しく諭されたことを思い出し、「悟空だっていいじゃないか!」と思ったり。意味不明だな。
あ、なんかお腹痛い。ピンチピンチ、大ピンチ。せっかく中央特快に載ってるのに。降りるべき? いや降りたくない。というか簡単には降りられない。なかなか次の駅に着かないから。中央特快が裏目に出てしまった。あー腹いてー。あれあれ、子育てしているというのにこの言葉遣いはいただけないですわ。ポンポンが痛いでちゅ。…違うだろ。胃もムカムカするよー。睡眠時間プリーズ。

表現が独創的と言われた

表題の通り。私としては的確に、自身がどのように感じているかよりよく伝わるように努めているだけなのだが。たとえば今の私の髪型。昨日切りに行って来たのだが、現在西多摩にいる関係で電車の運行が都心に比べてアレなので普段切ってもらってる美容院に行けず、仕方なく実家近くで切った結果、坊ちゃん刈りみたいになった。そんなに坊ちゃん刈り? と言われ、あんまり思うところが伝わらなかったので、「バイオリン習わされてる小学生男子みたいな感じ」と言いなおしたら伝わった。ほかには、子どもの服の袖口がまくりあがっていたので「○○ちゃん、ダライ・ラマみたいになってるよ」とか。ほんとにダライ・ラマみたいだったのだけれど、確かにこれは珍しいかもな。赤ちゃんに向かって「ダライ・ラマみたい」なんてな。そんなこと言われる赤ちゃん、日本広しといえどもうちの赤ちゃんだけかもな。

中央線にて

JR時刻表の中吊り広告を見かけた。あんまり売れないんだろうな。いま乗っている電車でも、途中で行き先が変わることがあります、とアナウンスがあった。常識的には変更になった場合の行き先は同じ路線のもっと手前の駅ということなのだろうが、全然違う路線の聞いたこともない駅に連れて行かれたらヤだな、と、ふと思った。居眠りして目が覚めたら「ここどこ!?」みたいな。
居眠りといえば、震災の時に私は電車に乗っていて、幸い電車が駅で停車してドアが開いたときに揺れだしたので走行中よりは安全だったと思うのだが、それでもぐわんぐわんと揺れて横転するんじゃないかとかなり怖かったのだけれど、目の前に座ってたおばさんは居眠りしてて全く目を覚まさなかったので驚いた。そのおばさん、電車が止まってしまってしばらく経ってから目を覚まし、電車が動かない理由が分からずキョトンとしていた。だからどうって話でもないが。

立ち往生

原稿とゲラ取りに会社に行って、帰る途中で地震。現在電車の中で足止めされている。電話が全然つながらないので家族がいまどうしているか分からない。いまどうしているだろう、無事だろうか、髪型がブラマヨ小杉にそっくりな私の娘は。

今日の掘り出し物

本日は中3の時の作文発掘。「中学3年になってからの私はずっとぼけてました」という書き出しで、ずいぶん自虐的だなあ、おい!と思いつつ読み進めると、「なぜなら授業中にアメやガムが行き交い、みんなが食べていたなんて全く気づいていなかったからです」と。非常に私らしいできごとだ。人々が自然と気づくこと(誰と誰が付き合ってるとか)に全く気づかなかったり、教師にバレないように人々がやっていることの仲間に入れてもらえてなかったり。それが仲間外れされているというよりは、埒外に置かれているといったほうが適切な感じなのである。
おそらくこの作文は、授業中にアメやガムを食べていたことが露見した際に教師に説教されたあと書かされた反省文なのだろう。割があわないなぁ、アメガム問題なんて私にしたら晴天の霹靂なのに説教された挙げ句、反省文。見て見ぬフリをしていたのなら反省することも可能だろうが、その存在に全く気づいていない悪事に対してどうやって反省するのかよ。不可能だろう。アメガム問題!? いま初めて知った!! というのが当時の私の心境だと思われる。しかし求められてるのは反省文なので、仕方なく「○○ちゃんが話しかけてきたときに、邪険な対応をしてしまったことがあったので、そこは良くなかったと反省しています」と続けているのである。ズレてんなぁ、オレ! クラス全体が説教される規模の問題にこんな反省文。きっとさぞかし浮いていたことであろう。しかし埒外の人間として、浮いていてもそういうものとしてそれなりに受け入れられていたのは幸いであった。
今日はほかに幼稚園の年少さんのときのカスタネット発掘。あとシルバニアファミリーも出てきた。なんでなんでもかんでもとってあるんだろうな。

気がつけば異常行動

実家での部屋掃除は終わらない。今日はかつての立川駅ビルWILLのティッシュが出てきた。怖すぎる。WILLがルミネに変わったあと、WIllのティッシュに「ルミネ」と書かれたシールが貼られたものも出てきた。こんなもんとっておくなよ。
どうも出産すると感覚がおかしくなるというか、子ども可愛いスイッチが入るらしく、どこかなにか出産前の自分と違うのではないか、と警戒しているので極力子どものことは日記に書かないようにと思っているのだが、そうすると書くことがなかったりするのでこんなにも日記を書いていないのである。だけど今日はちょっとだけ書いてみることにする。
なんだか私のような人間が「母性」というと、とても変な感じがするのであるけれどやはり母性というものはあるようで、ちゃんと甲高い声を出して子どもをあやしたりするのであるが、最初は「あら、笑ったのね〜」とごく普通の母親のようであったのに気がつくとバケモノみたいな声で「イーッ! イーッ!」と子どもに向けて声を発しているので驚く。うちのやつに「やめなさいよ」と言われて我に返るのだが、どう考えても異常行動だ。子どもは別に怯えたり怖がったりしてないので多分大丈夫だが、この子にとっての母親像は世間一般のそれとは大きくずれるのではないか、という懸念はある。
足首を軽くもって運動させてやるときも、最初は歌のおねえさんのような高い声で「いち、に! いち、に!」とやってやるのだが、気がつくと「イッチ、ニッ、サンッ、シッ、アルソック! ホームセキュリティーはアルソック!」と言いながら赤ちゃんの足を動かしている。幸い子どもはそれでも喜んでいる風なのでよいのだが、我ながら意味不明である。いちどそれをやってしまってから「アルソック」にならないように気をつけてはいるのだが、どうも赤ちゃんの相手をしていると脳が死ぬ瞬間というか、頭の中が完全に無になるときがあり、そうすると勝手に「アルソック」になってしまっているのである。なんでか分からなくて怖い。
やっぱり出産を経て人間が変わってしまったのかねぇ、私は。

現在開店休業中

確定申告する段階で白色申告だとフリーランスは控除が38万円しかうけられないと気づきショックを受け、来年は青色申告に挑戦しようと開業届ならびに青色申告承認申請書を税務署に提出したとたんにゲラが出ず、現在開店休業中。個人事業主になったんだから、仕事ない=無職、じゃなくて開店休業中で合ってますよね。子連れで実家に戻っているものの仕事がない以上、両親に子どもの面倒を見てもらう理由がなく「どうせだったらアナタが使ってた部屋の片付けして明け渡してヨ」と言われてしまった。めんどくせー。
で、整理を始めた3分後に小学校時代の詩集を発見。私の住んでいた市と隣接するいくつかの自治体の小学生の書いた詩のうち、担任の推薦を得られたものが掲載されるというしろものである。私は正直言って詩なんか全然得意じゃなかった。読書感想文も普通の作文もダイキライだし、国語は苦手だと思っていた。だから詩の宿題がでるとやる気皆無で常に後回しにしていたのだが、あるとき、どういう理由だったか忘れたが母親に「早く書きなさい!」と急かされ、「書けないよ〜」とかなんとかこたえたら、これこれこういう風に書くように、と指導されたので、ほぼそのまんま書いたことがあった。
そしたらそれがめでたく担任から推薦されてくだんの詩集に掲載。大人的に「子どもらしくていい」ものが、どの大人にも好まれるんだな、と当時は失望まじりの軽い衝撃をうけたものである。内容は当時飼っていたネコについてで、そのネコがよわむしだ、というもので全然本心じゃなかったし。大人の都合でよわむしということにされてしまった私のネコ! そういうわけで今でもそのネコに対し、若干やましい気持ちを抱いている。そんな詩を書いたことを気取られてはならぬ、と。
というわけで部屋の整理もまったく進んでおりません。めんどくせー。